3.プログラムの作成1636),く枢機卿フェルディナントのアントウェルペン入市のための装飾画〉(1634-35)フレデリック・ヘンドリックの事績は,それを絵画に描き出すことで顕賞されることになった。絵画は,3階分を吹き抜けにした中央の間方の壁にかけられる額絵と,天井ドームをおおう板壁に描かれる壁画とからなるが,そのためのプログラムはファン・カンペンとハイヘンスの手に委ねられたようである。二人がプログラムを作成するにあたって参考にしたのは,リュベンスのくマリー・ド・メディシスの生涯連作〉(1625),<バンケッティング・ハウスの天井画連作〉(1630-などであったようだが,今回は,紙数の関係もあり,図像の詳細にわたる検討は割愛することにしたい。いずれにしろ,別紙資料1及び2のような草案が二人自身により,あるいは二人の周辺で作成され,1647年11月末ころには最終的な合意に達した模様である。なぜなら,その年の12月4日,フランソワ・オリフィールなる職人に,指定の大きさのキャンヴァス30枚を「楔付きの枠に張った上で納入する」旨の注文が出されているからである。現存のオラニエの間の作品のサイズからしても,その点数からしても,これがプログラム決定後の発注であることにほぼ間違いない。別紙資料1,2, 3, 4を比較,検討すると,草案のプログラムが実際の注文にあたり,大筋において踏襲されていることがわかる。すなわち,一部の異動や例外はあるが(以下,括弧内の数字は資料3と4の数字をあらわす),原則として西側の主壁ではフレデリック・ヘンドリックの誕生にかかわる主題(1,3 -8)が,北側の主壁では彼の統治権の正当性を主張する主題(14,16, 19)が,南側の壁では彼自身とその子供たちの結婚にかかわる主題(12,20, 21)が,そして東側では彼の剛毅と勝利を謳う主題(17,18, 31-33)が描かれ,西,北,南の下段の側壁では勝利の行進の主題(23-30)が扱われている。いずれの場合もファン・カンペンから各画家に対し,描かれるべきモティーフのみならず,全体の図柄に統一性が生まれるように,人物の大きさ,消失点の位置,アーチ枠どりや視点など,かなり細かい指示が出されたようである。これについては,ウィレボワールツ,ョルダーンス,クレイヤー(キャンセルされている),ゴンザレスに宛てた指示メモが現存している。特に8点に及ぶ勝利の行進の図(23-30)―のつまりオラニエの間の四-271-
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