るオラニエの間で顔を合わせて制作していた可能性を考えてよかろう。その際,全体の様式の統一がもちろん話題になったであろうが,三人のうちで様式的に最も大きな影響力を発揮したのはファン・エーフェルディンゲンだったようだ。なぜなら,デ・フレッベルもファン・カンペンも,それらの壁画(2,15, 22)において,彼らのそれまでの作品には見られないよく言えば洗練された,悪く言えば余りに硬質で人工的な,つまりファン・エーフェルディンゲン的な作風に限りなく近づいているからである。オラニエの間の絵画群のうち,オランダ画家が制作した作品にある種のぎこちなさがつきまとう原因の一つは,そうした様式一元化の傾向に求められるかもしれない。6.結語オラニエの間でファン・エーフェルディンゲンの様式—理想的な人体表現,滑らかで美しい仕上げ,はっきりとした輪郭,デコールムヘの配慮ンに大きく影響したという事実は重要である。なぜなら,1660年ころを境に徐々に頭をもたげ始め,後にはオランダの写実主義を席巻してしまうほどの勢いを呈することになる17世紀後半のオランダ古典主義は,まさしくファン・エーフェルディンゲン的な様式の延長線上で展開するからである。17世紀末から18世紀の初めにかけて活躍した古典主義者ファン・デル・ウェルフ,ファン・ライレッセらの起点は,したがって,オラニエの間でのファン・エーフェルディンゲンの活躍にまで遡ることができるといってよかろう。フレデリック・ヘンドリックの没後,オランダ共和国の内部は総督派と,ホラント州の富裕層を中心とした議会派に分かれ,激しい抗争を繰り返していた。そうした時期にあって,オラニエの間の絵画群は総督派の威信を示す絶好の機会であり,その意味で,人々の関心を集めざるを得なかったはずである。画家たちも例外ではなかった。そして注文を受けた画家たちは,依頼者の要請に応えるべく,新たなオランダ的古典主義様式を早急に確立する必要に迫られた。ファン・エーフェルディンゲン的様式への注目は,そうしたなかで見出された答えであった。制作に対する支払いも破格であった。オラニエの間における様式意識は,いやがおうでも他のオランダ画家に影響を与えずにはおかなかったのである。補記:紙数の関係で注は省略し,主要参考文献を資料末尾に添付した。がファン・カンペ-275-
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