鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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ありました。今後は中国側の理解を得て,再度この辺の作品の所在調査を行なうべきと考えられます。東洋文庫等々の他,個人所蔵家の所で調査を行ない多数の書籍類の装禎を見た。しかし,残念な事にはポスター類の一枚物の資料を見ることはできませんでしたので,現在継続調査をおこなっております。以上が1993年度の調査概要でありますが,貴美術財団の「美術に関する調査研究の助成一助成要項及び申請書ー」の意義の項で「版画・商業美術は其の時代の芸術潮流,社会現象の受容は他の芸術分野に比べて直接的である。このことを仮設的前提にして,図像を通して広く大衆に浸透して行く美意識,そして美術という存在が社会的諸現象への参画をどのように成してきたかを確認する事によって,杜会と美術,個人と美術の関係が具体的資料を基に語ることができる」と述べたが,現状の調査成果の中からは,その外観を把握することはできたが,残念なことには完全な回答と言うところまでにはいたっていない。しかし,その扉は開く事はできたとの自信を,全メンバーが持ち得たので,本研究は意義ある内容であり,今後も継続的に研究を進めて行く事を確認しております。そこで1994年の計画は,貴財団からの助成によって,多くの実りあった去年の,調査資料,その成果を整理し,新たに次年度に向けた研究調査の基礎としたいと考えております。1.中国近代木刻運動と魯迅私たちは中国・近代における初期版画芸術の動向を,魯迅との関わりの中から記述いたしたい。調査については,基本的には全メンバーで,中国上海魯迅紀念館,神奈川県立近代美術館所蔵品を骨格に,調査を行い,他の跡見学園女子大学図書館,京都大学附属図書館,財団法人東洋文庫他については分担してその任にあたった。「我々自身が開拓者であった。けれども,中国のこの新しい版画は原因もなくて誕生し発展してきたものではない。思えば,もう十六年も前のことだ,中国の新しい木刻が誕生してから,既に十六年の歴史を閲した。その源を遡れば,まず魯迅先生について一言せねばならない。」(注1)と陳煙橋が言うように,中国版画芸術の源は魯迅にあると断言しても“否”という者は誰もいないであろう。もし居たとしても,彼ら(4), (5)については,上海魯迅紀念館を骨格として,京都大学附属図書館,財団法人-285-

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