(1)」の序で魯迅は,ーいわゆる創作木刻は,模倣せず,作者は彫刻刀を握って木に向かして整理し,中国の保守的な美術に新鮮な風を吹き込んだのであった。言いかえれば,中国近代美術史の中に,“魯迅”という存在が鮮明に位置付けられる基礎を形成したのが,“上海”で,“この時期(上海10年間)”であったと言っても差し支えないであろう。(注3)1913年(民国2)北京『教育部編纂処月刊』第1巻第1冊魯迅「美術普及に関する意見書」・1985年『魯迅全集』第10巻伊藤虎丸訳学習研究社刊(注4)1930年10月6日の日記に一午後,時代美術社の展覧会を見るーとあって,その訳注1に一許幸之はこの展覧会を開催するにあたり,事前に魯迅に相談するとともに魯迅所蔵のソ連の宣伝画,軍事画,風刺画や木版画を展示品の中に加えた。一1961年9月24日(許幸之「魯迅先生について2,3の事」『北京晩報』)さてそれでは,魯迅は版画芸術についてどのようような考えを持っていたか,魯迅の文章を取り上げながら考えてみたい。先に掲げた『藝苑朝華』1集「近代木刻選集い,直接彫っていく一,ー「刀を放にして直幹」こそが,創作版画がまず必須とするものであって,絵画との違いは,彫刻刀を筆に代え,木を紙や布に代えたことにある一(注5)'さらに一西洋には画家が仕上げまで自分で手を下す版画,すなわち原画があるのを知った。木版を使えば「創作木版画」とよばれ,これは芸術家の直接の創作作品で,彫り職人や刷り職人の手をかりない。いま,我々が紹介しようとするのは,この種類のものである一。と述べる。つまり,刀を描きての筆とし,版木,支持体をキャンバスに想定しての発言である。つまり,版画は誰かの絵の模倣であってはならず,版画家は自分の絵は自らが筆を刀に替えて,画家がキャンバスに絵筆を走らすように刀を版木に走らせねばならない。また言う「ところで,ここで紹介するのは,教科書にあるような木刻」は「彫るにあたっては,一枚の図画を下絵とするものである。下絵がある以上,彫刻刀を筆のつもりだと思ったところで,型どおりで独創ではないから,せいぜい『複製画』であるにすぎない」。これに対して,「「創作版画」には,粉本などなく,画家が鉄筆を執って版木に作画する」,さらに続けて「精気あふれる芸術家と観賞者がいなければ,『力』の芸術を生み出すことはできない。『筆を放にして直幹』<7)図画は,おそらく,だらけた,小利巧な社会では生存しにくいことであろう」(注6)と,版画作品が芸術性を持ちうるための,創作者のみならず,その作品を観賞する側1985年『魯迅全集』18巻学習研究社刊)とある。このことを考えるならば,30年代以前に海外の版画作品と直接に接したと思われるが確認はできなかった。)-289-
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