の人々に対しても,真摯な姿勢を強く訴えている。ここで気になることは,魯迅は版画の制作の彫り,摺りという過程に発言を集中させ,版画だけではなく,絵画全般に言えるデッサンについて触れずにいることである。また過程についても下絵の意味することを論究していないことである。しかし,魯迅は基礎としての素描,遠近法,明暗法を軽視していたわけではなく,「木版画は,結局は彫られた絵画です。それで基礎はやはり素描と遠近,明暗法にあります。この基礎がしっかりできていないと木版画も成功しません」(1934年3月22日,唐詞宛書簡)というようにしばしばデッサンの重要性について述べている。もしも「『創作版画』には,粉本などなく,画家が鉄筆を執って版木に作画する」(ここで例に上げている作品は木口木版画のことであろう)という魯迅の言葉をそのまま中国の青年木版画家達が受け取っていたとしたならば,内山嘉吉の木版画講習会は創作版画においても構想を練り,下絵を作ることが大切であることを彼ら青年版画家達に気づかせたという意味で,刺激的なものであったと思う。ここで魯迅の言う「創作版画」という語意の出所について考えてみよう。即座に誰しもが思うのは,我国の近代版画芸術の黎明期における「創作版画の定義付け」に酷似していることである。石井柏亭は文芸誌『明星』7月号で「友人山本鼎君木口彫刻と絵画の素養とを以て画家的木版を作る刀すなわち筆なり」(注8)とのべている。我国の近代版画芸術の出発点は正にここにあった。このことが,20数年経って,中国上海の地に於いて魯迅によって確認されたことは感慨深いものがある。しかし,それは決して偶然ではない。魯迅は前述のように,早くから永瀬義郎著『版画を作る人へ』,小泉癸巳男著『木版画の彫り方と刷り方』(注9)'旭正秀著『創作版画の作り方』等々の日本の版画に関する著書を入手しており,それらの著書には,創作版画の定義が述べられていることから,魯迅の創作版画の語意のイメイジの源泉を探ることができるのである。ただ永瀬義郎の著書では,1904年から発展した,我国の創作版画の自画,自刻,自摺について,「自画自刻と云う言語が今迄は,創作版画の裏書きになっていたものですが,自画自刻と云う言葉は,大変創作版画の意味を不明瞭にしました。この事は専門の美術家の中にも誤った考へを持つ人が多いやうです。」と危惧をしめし,行を変えて「要するに創作版画とは,油絵におけるブラッシュ,カンバス,絵の具などと同じく,銅,石,木等の版面を自己の芸術表現の仲介(メデイアム)に使用するもので,それ-290-
元のページ ../index.html#298