鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
299/475

は丁度演劇の構成,即ち脚本(版画に取ってはモチーフ)舞台装飾(製版)光線(顔料)演技(刷り)音楽(装禎)等の融和統一に依って始めて作者の演劇としての表現が成り立つのと同じく,創作版画も刷りや彫りの様々な仕草の統一に依って作家の芸術が生まれるのです。ですから諸君は版画を始める前に,諸君の頭から絵画の表現形式の概念を,版画制作の上から捨てて了はなければなりません。簡単に云っても,筆で象(かたち)づくるものと,刀で象づくるものとが同じ結果が生れる訳はありません。筆で描いたものを刀で真似ようとする事は木に縁って魚を求めるやうなものです。版画には版画のみに許された,他の造形美術には求められぬ,版画独特の境地があります。諸君は専ーに其処に向って突き進まなければなりません。」と,一歩進めた定義付けを行なっている。魯迅はこのことについては積極的には発言はしていないが,若い版画家の作品評のなかで触れて,作品を手にして語ることが多い。それに比して旭正秀の著書では,我国の創作版画の定義を直接的に継承し,創作版画を定義付けている(注10)。魯迅の創作木刻の語義は,旭正秀の定義付けに近しいものである。しかし,魯迅は『木刻紀程」の小引で「中国の木版画は,唐から明まで,かって見事な歴史があった。だが,現在の新しい木版は,その歴史とは無関係である。新しい木版は,ヨーロッパの創作木版の影響を受けたものである」(注11)と語っているように,中国の創作木刻の影響は,ヨーロッパの創作木版の影響を受けたものであるとする。確かに中国ばかりか日本に於いても,近代版画芸術の精神,表現方法等々はヨーロッパの版画芸術の影響を受けていることは否定できない。そして,取りわけ木版画については,我国の保守的で大衆的な傾向が強いのに比して,中国の木刻画はヨーロッパ版画の影響を直接的に受け入れていることは認めぎるを得ない。つまり,中国の近代版画芸術は,表現方法,考え方はヨーロッパ絵画(版画)芸術の影響を直接的に受け入れ,語義(創作木刻)の定義付けは,日本の近代創作版画の定義および語義(自画,自刻,自摺)を採用しているものと考えられる。何故ならば,日本の近代創作版画は,西洋文化の思考方法に裏付けられ,徒弟的職人技から版画を解放し,真に芸術的位置付けを思考した結果,その手段として,自画自刻,自摺という方法を設定したもので,西洋版画芸術の中にそれらの語の存在はなく,日本の近代創作版画芸術を表現する独自の語であるからである。(注5)1929年(民国18)魯迅書『近代木刻選集』(1)序『朝花』週間第8期に発表され,同時に『近代木刻選集』(1)に収められた。1985年『魯迅全集』9巻辻田-291-

元のページ  ../index.html#299

このブックを見る