鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
30/475

1879年「セラミック・ジャポネーズ」5巻,6巻購入1883年セルヌスキ氏より日本の壺を借用1880年バロン・ド・シーボルト氏より四百種ほどの日本の見本布を購入1888年リヨンの大越領事が日本の羽二重見本を寄贈1889年万博出品物を日本政府より受け入れる/飯田新七が出品物を寄贈1894年ジョゼフ・ギネが日本の布を寄贈/林忠正より日本の絹を購入1895年横浜同伸会社が絹地の絵を寄贈1897年ゴンクールより日本の布を購入1898年「養蚕秘録」受入れ/林忠正ブロンズのハヤブサを寄贈1902年林忠正より日本の布一組購入1903年林忠正より日本の刺繍,パネル(掛け軸?)購入/S・ビングより日本の布の5)万国博覧会における当時の日本とフランスの染織ロンドンのカゼラ氏が日本の型紙を寄贈コレクションを購入/エドモンド・ゲラン氏極東の刺繍寄贈このように,意外にも日本の文物はかなりの数がリヨンに伝わっていた。しかもこれらのものをデザイナーが参考にしたであろうし,それはロンドの意図したことでもあったと思われる。しかも1894年のリヨン万博以前,既に多くのものが伝わっているので,その後リヨンの織物出品物に日本的なデザインのものが多く現れても不思議ではなかったと言える。その一例として1880年に商工会議所がバロン・ド・シーボルト氏より購入した日本の織物〔図8〕の一枚と全く同じものが後にリヨンの製絹業者ビアンキーニによって製作されている(注24)。幕府と薩摩藩が参加した1867年のパリ万博では繊維関係のものとしては綿布,絹織物,着物,刺繍,などの出品があった(注25)。出品物の評価については,フランスの報告書に細かく記されているが,大まかな内容は,薩摩藩の送った絹製品のデザインが非常に優れていること,そしてそれらがフランスの製品にとって参考になることなどが書かれており,日本製品の質を高く評価しているものとなっている。続いて,1877年にはリヨンで「回顧博覧会」と称して万博が開催された。この万博では,日本の参加がなかったにも拘らず,日本の織物,刺繍などが収集家の出品という形式で展示された(注26)。また,リヨンの製絹業者タッシナリが日本様式の織物を出品したのはこの万博においてであった(注27)。-22 -

元のページ  ../index.html#30

このブックを見る