刊正雄訳)-「いわゆる創作木刻は,模倣せず複製せず,作者は彫刻刀を握って木に向かい直接彫っていく。ーたしか,宋の人でたぶん蘇東破だったと思うが,人に梅を描くよう請うた詩があり,その詩句にいわく,「我に一匹の好き東絹有り,請う君筆を放にして直幹を為せ」と。この,「刀を放にして直幹」こそが,創作版画がまず必須とするものであって,絵画との違いは,彫刻刀を筆に代え,木を紙や布に代えることにある。中国の刻図はいわゆる「繍梓」ではあるが,これももはや立ち後れたものとなっており,ただ鉄筆だけで石に印章を彫るというその精神が,似ている点だと言えよう。創作であるから,風情や技巧は,人によって異なり,複製木刻から離れ,純粋の芸術となっており,現今の画家は,そのほとんどが試作しようとしているものである。ここに紹介したのは,いずれも現今の芸術家の作品である。ただ,これら数枚だけではさまざまな作風を見るのに充分でないので,もし事情が許せば,逐次舶載していこうと思う。木刻の帰国は,思うに,決して他の二つのようにもとの師匠に苦しみを与えたりはしないであろう。一<補注〉木刻は“Wood-cut"の魯迅の訳語。魯迅は,1928年11月,『奔流』第1巻第6期に,アポリネールの詩「蚤」とともにラウル・デュフィーの木版画を紹介したとき,「木刻」という訳語を使用した。これが「木刻」という訳語を使用した最初と思われる。(『集外集』『奔流』編校後記(6)を参照)その後1933年10月,上海の施高塔路(いま,北四川路)千愛里45号で,現代作家木刻画展覧会を開催したが,この時から,魯迅は「版画」と言わず,木版画の意味で全面的に「木刻」という名称に改めた。(内山完造『上海漫語』(1938年12月,改造社刊)の「魯迅先生と版画」を参照)(注6)1933年(民国22)『木版画創作法』序1958年『魯迅全集』18巻学習研究社(注7)1929年(民国18)『近代木刻選集(2)』(『藝苑朝華』第1期第3集)小序朝花社編集印刷1958年『魯迅全集』辻田正雄訳学習研究社刊ー「創作版画」には,粉本などなく,画家が鉄筆を執って版木に作画する本集のダグリッシュの2幅と,永瀬義郎の1幅が,その例である。もちろん,迫真力を備えているし,また繊細である。が,そのほかに美があり力がある。仔細-292-
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