刊に見ていくと,複製の画幅からでも,結構ちょっとした「力強さの美」を見出すことができる。だが,この「力の美」は,おそらくすでに我々の眼になじむとはかぎるまい。流行の装飾画では,現在すでに多くか撫肩の美人か,痩せこけた菩薩か,解散した構成派の絵画になっている。精気あふれる芸術家と鑑賞者がいなければ,「力」の芸術を生み出すことはできない。「筆を放にして直幹」の図画は,おそらく,だらけた,小利巧な社会では生存しにくいことである。一(注8)1904年(明治37)「パレット日記」石井柏亭『明星』7月号(注9)1924年(大正13)小泉癸巳男著『木版画の彫り方と刷り方』春烏会刊(注10)1927年(昭和2)旭正秀著『創作版画の作り方』弘文社刊ー創作版画は作家が版に直面して成されたる作品,即ち最初から版画にするため,作者自身の創造によって描き,且つ彫って,刷り上げたもので,作者が自分の芸術を表現するために,日本画油絵,水彩画等を選ぶと同じ意味で,只その表現の材料として版を選び,刀を筆にかへたまでで,作者がよく版のもつ特質を知り,その図にも,彫りにも,刷りにも全く作者自身の気持なり感じを生かして,直接版で表現して行くものをいふのです。一(注11)1934年(民国23)『木刻紀程』小引『魯迅全集」8巻1959年学習研究社次に魯迅は木版画の特質について,数本の小刀と板があれば可能で簡便さがあり,印刷すれば同一のイメイジを多数の人々と共有できることから,大衆性があると述べている。魯迅の言う簡便さについては,当時の中国の社会的状況の上になり立っている。つまり銅版画,石版画を制作するのには,必需品としてのプレス機が要求される。しかし,激動の時代の真っ只中にあって,当時の権力と対峙していた版画家達にとって,重量のあるプレス機がなくては創作できない銅版画,石版画となれば不便でならない。その点,木版画は刀,版木,紙,墨,摺具といった,懐中にも忍ばすことができ,自由に移動ができ,転々と場所を変えても創作活動にそれ程障害をきたさないという簡便さを考えたのであろう。さらに中国には長い木版画の歴史があるということを考慮にいれるならば,彼ら版画家達には素直に受け入れられる下地ができていたものと考えてもおかしくない。それとまだ銅版画,石版画の技術は中国に一般的に普及していなかったこともあろう。-293-
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