2.平安前期の銅製品の材質的特徴(796年初鋳)1枚・富舟神宝(818年初鋳)15枚•長年大宝(848年初鋳)7枚・寛平3.平安後期の銅製品X線分析を終えているが,①・②・③に掲げた特徴は確認されている。平安前期は今回の直接の研究対象ではない。しかし銅製品については飛鳥・奈良時代からの材質的特徴の流れを理解しておく必要があったため,皇朝十二銭の蛍光X線分析による定性分析を実施した。用いた試料は神功開宝(765年初鋳)7枚・隆平永宝大宝(890年初鋳)3枚の計33点である。これら銭貨は官で製作されたもののほかに,私鋳銭が混入している可能性も高く,じっさい化学組成上の個体差も少なくなかったが,それでも神功開宝・隆平永宝鋳造のころ多少添加されていたスズが,富寿神宝以降は加えられなくなり,逆に鉛の添加量が時代と共に増えるという傾向が確認できた。適当な銭貨材としての碁本条件は,仕上がりの色や硬さなどではなく,銭文の表出など鋳造が容易に行えることであったと推定でき,このため添加成分は高価なスズから安価な鉛へと置き替わっていったものと推定できる。またいずれの試料からも銅の不純物として1〜数パーセントのヒ素を検出し,飛鳥・奈良時代の国産銅製品にみえる特徴がこの時期にも保持されていることが確認できた。京都市内の鳥羽離宮跡・法住寺殿最勝光院跡・弁天島経塚および大阪市長原遺跡より出土した銅製品について蛍光X線分析により定性分析を行った。41点の分析の結果を表にまとめた。実際にはもっと多くの数の分析を行ったが,被熱などによる変形,あるいは細片であるため,もとの形状がわからぬものもあり,それらについては割愛している。く鳥羽離宮跡出土遺物〉鳥羽離宮は応徳3年(1086)白河天皇の後院として造営が始められ,以後院政期の舞台のひとつとなった。烏羽天皇・近衛天皇による造営によって,南殿・北殿・泉殿・東殿・田中殿など多くの御堂や寝殿が造営されたが,離宮の廃絶後は水田と化した。鳥羽離宮北殿勝光明院の池跡からは須弥壇格狭間を飾った孔雀形の飾り金具が出土している〔図1-1〕。中尊寺金色堂内陣須弥壇格狭間にみえる孔雀形飾り金具の原型となった意匠と考えられる。また他の類例として和歌山県浄妙寺の格狭間金具が知られているがそれよりも一回り大きい。成菩提院付近からは垂木先金具として使用したものと推定される方形の金銅板(19.7-305-
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