形状はやや細長く,大小の粒子を認める。表面から観察した金粉の粒径は約0.1mmである〔図4-3〕。金粉の塗膜断面の構造は塗膜最下層に黒色の漆が塗られ,その上に金粉が蒔かれている。金粉を覆う漆はやや褐色を帯びており,ややクロメの不充分な漆で金粉を固定したことがわかる。塗膜の厚さは0.1mmである〔図4-4〕。銀蒔絵蛍光X線分析により銀を確認している。表面観察した銀の粒子は腐食して塗膜表面から膨らんで粒子の輪郭がはっきりせず,いくつかが癒着したようにみえる。断面観察では,銀粉は下地の上に黒漆が塗られ,そこに銀粉が蒔かれている。銀の粒子は金の粒子と比較すると鋭く角張っている。銀粉は金粉同様にやや褐色の漆で覆われており,やはりクロメの余り充分でない漆で,固定されたことが看取できる。断面観察の結果,銀粉の大部分は塗膜中に沈んだままで,ほとんど研ぎ出されておらず,ごく一部研ぎだされたところが腐食して盛り上がっていることがわかった。こうした点は,当時意図的に行われたのかどうか,伝世資料では塗膜断面観察による調査例が皆無であるため現段階では比較のしようがないが,今後解明すべき興味有る課題である。塗膜の厚さは0.13から0.2mmまで幅がある〔図4-5〕。なお一部の試料については蛍光X線分析の結果,銀の他に水銀が検出された。顕微鏡観察でも銀を含む漆層の下の漆層中に朱の粒子が認められることから,若干の朱が用いられていることが明らかとなった。く平安京高陽院跡出土金銀蒔絵硯〉平安京の高陽院跡の池跡から11世紀半ばとされる金銀蒔絵硯の破片が出土している。出土した硯は須恵器の瓶腹を転用した猿面硯であり,底には脚を取り付けた接着剤の痕跡が残されていた。硯内面には今も墨が青海波の一部に残存する。硯面以外は黒漆か塗られ,側面には金粉を蒔いた平塵の地に,銀で波文を表す研ぎ出し蒔絵が施される〔図3〕。表面から観察される金の粒子の大きさは0.1mm。前述の鳥羽離宮跡出土のものと比較してやや丸みをもつ。断面観察により,下地の厚さは0.2mm,漆塗膜の厚さは0.1mm。下地中には一部に細胞組織が残る木炭粉(広葉樹)が観察される。下地の上に漆を3層塗り,その上に金粉・銀粉を蒔く。金粉はちょうど粒子の中程まで研ぎ出されている〔図4-1〕が,銀粉は鳥羽離宮跡出土の蒔絵同様に塗膜内に沈んだままで,大部分は表面に研ぎ出されていない〔図4-2〕。鳥羽離宮の資料と比較すると下地が非常に厚く,塗膜も厚く,登りも丁寧である。-311-
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