⑱ 東方ヘレニズム世界における花綱モティーフについて研究者:岡山市立オリエント美術館学芸員飯島章仁ポンペイ第二様式壁画に描かれた花綱モティーフについて,東方ヘレニズム世界における同様の主題を描いた作例と比較しながらその背景を探索し,両者の関係を総合的に把えて,それらの一連の作例を広範な文化的脈絡の中に位置づけようというのが,この研究の目的である。このテーマに関してこれまでに刊行された論文や著述では,個別の遺構やモニュメントについて当該の対象の発掘あるいは精査と,その整理・報告を目的としており,そのためにこれに関する限りにおいて類例として指摘しうる他の作例を比較し,引証したものが大部分であるといってよい。そのために,多くの作例をひとつの視点から統一的に把えて,全体を均衡よく把握し,紀元前3世紀頃以来,ヘレニズム文化が東部地中海沿岸域や近東地方に波及するおおまかな流れの中において,それらが占めている位置を確定することが必要である。ヘレニズム期の花綱モティーフの作例は,大別して住居や宮殿の壁面装飾や舗床モザイクに描かれたものと,地下の墳墓の壁面や天井・床・棺などに表わされたものとに分けることができるが,今回の研究ではとくに,前者のグループに属するものとして,ヘレニズム世界において多く製作され,各地において広範に遺存する舗床モザイクの作例と,ポンペイの室内装飾にも直接結びつく可能性のある,壁面装飾の作例に焦点をあてて,ポンペイ第二様式壁画における作例との関係を考えて行くことになった。しかし後者のグループについては,アレクサンドリアの地下墓に関して別に発表を行なったこともあるので(『オリエント』1993年),今回は対象を上記のように絞り,関連する資料等の収集を行なった。花綱モティーフは,舗床モザイクの発達の歴史の上では,いわゆる「パウシアスの花冠」に関する伝承と結びつけられて,しばしば論じられているようである。エーゲ海域の舗床モザイクにおいて,種々の植物文を連ねてフリーズ状の細長い画面を充填した装飾構成が発生するのは,現存例から見たかぎりでは紀元前4世紀の後半頃とされており,これは大プリニウスが伝えるところの,上記のパウシアスの伝承の時期とも一致している。ただし,花綱モティーフの起源に関する問題は,この研究の範囲を超えている。-316-
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