鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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紀元前4世紀〜紀元前3世紀の舗床モザイクの作例は,部屋の床面の中央部を占めるエンブレーマを囲むいくつかの装飾帯の中のひとつか,あるいはそれらの中の複数が,パルメットや常春藤の蔓などの植物文を連ねた文様によって占められている形式のものである。これにはモティアやオリュントス,エレトリア,ペラなどにみられる例のような,ペブル・モザイクの技法によるものにはじまり,これらよりやや遅れる,アレクサンドリアの住宅の建築物の舗床や,ペルガモン,デロス島の例のような,オプス・テッセラートゥムによる作例までも含むものとする。ただしデロス島から発見された5例の花綱装飾を描いたモザイクは,紀元前2世紀末葉から紀元前1世紀初頭に比定されるのであり,ポンペイ第一様式の壁面装飾や舗床モザイクに描かれたものよりも,時期的にはやや遅れるくらいである。そしてポンペイ第一様式から第二様式にかけて生じた,ストゥッコの凹凸による建築描写から壁画による遠近法を用いた建築描写への劇的な転換の中における花綱モティーフの描写のしかたの変化を,広範なヘレニズム文化圏におけるそれらの種々の作例との比較において考察し,あわせて床面と壁面との相互関係や,いわゆる“装飾構成の投影関係”の有無についても着目することにした。ただし先にも述べたように,墓室壁画等に代表される葬祭美術の脈絡や,純粋な宗教美術の作品として製作された作例は,今回の対象外とすることになった。以上のような研究の枠組をあらかじめ設定しておいて,報告書等によって刊行された調査資料についてその情報を収集し,部分的には行ないえた実際の観察結果をも踏まえて,花綱モティーフの変遷をおおづかみに捉えて行くための統一的・総合的な観点から,以下の諸点について明らかにし,問題を指摘することができた。1.住宅建築の内部に花綱モティーフが描かれる場合の位置について宗教美術や葬祭美術,あるいは工芸品の装飾として用いられたに過ぎない場合を別として,世俗的な日常生活の場である宮殿や住宅の建築の内部に花綱モティーフが描かれる場合は,これまでに発見された諸例から得られる知見を総合すると,おおよそ以下のとおりである。そのひとつは,舗床モザイクの装飾においてである。ギリシャ古典期後期からヘレニズム期における住宅建築の舗床モザイクでは,エンブレーマ形式が一般的であるが,この装飾構成では部屋の床面の中央に方形または矩形のエンブレーマ装飾をひとつな-317-

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