鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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床モザイクの作例に関しては,それに含まれる成分としての個々の植物の部分の要素がいまだに多様であり,類種類の形式に整理することは難しい。また逆に,この時期のものは赤像式の陶画に描かれる植物文ともその形態が類似しており,陶画の影響か,あるいはモザイクと陶画の双方に共通の源泉となるような絵画ジャンルの先例からの影響が両者におよび,はじめは舗床モザイクとしてのモティーフレパートリーが固定していなかったものが次第に変化・確立していったものとみなすこともできるであろう。紀元前2世紀末葉になると,後のポンペイ第二様式におけるような垂下タイプの花綱装飾と同様のものが,すでにデロス島の舗床モザイクにおいてきわめてよく類似した形態で現われてきているのを観察することができる(「宝石細工師の家」中庭AL)。エーゲ海域の舗床モザイクに植物文を連続させた装飾が挿入された例が現れるのは,おおよそ紀元前4世紀の後半のことである。ただしこの時期から紀元前3世紀に至るまでの時期の花綱モティーフには種々のタイプが見られ,ポンペイ第二様式における垂下型の種類のものとはいまだに異なる形式によるもののほうが多い。たとえばパルメット文を一列に連ねた装飾帯によって中央のエンブレーマを囲んだシチリア島のモティアの例や,南イタリアでこの時期に多く製造された赤像式陶器の肩部にしばしば描かれた,首から上の人物像の両側に植物の蔓を渦巻くようにのばしたモティーフを挿入したエレトリアのモザイクの例のように,ポンペイ第二様式の垂下型のそれとはかなり異なる種類のものもいまだに多く認められる。ただし紀元前3世紀になると,蔦の蔓をS字を反転させるように連続させてそこへ交互に左右に葉を一枚ずつ取りつけた植物を描いたオリュントス出土の例や,あるいはいわゆる「パウシアスの花綱」と称されるところの,アカンサスなどの葉をつけた蔓性の植物が渦巻を繰り返しながら長くのびて,それらがいくつか前後にも重なって,互いに交錯するように奥行き感のある厚みをともなった植物文の帯を形成しているペラやペルガモンの例など,陶画にも同一の形態が観察されるような植物文からはやや異なった形態のものが出現するようになってくる。そしていま述べたものの中の前者は,デロス島の「マスクの家」の広間Gにある,矩形プランの部屋の舗床モザイクの両短辺のみを飾っている細長い装飾帯において,蔦の蔓と茎が交互に弧を重ねる中に演劇のマスクが挿入された装飾帯のような形式へと展開するように思われ,後者に関しては,これはデロス島の「喜劇俳優の家」やポンペイ第一様式の家(「ファウノの家」と「サッルティウスの家」),あるいは同じくヴ-320-

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