ィラ・ミステリの秘儀の広間といった部屋に描かれているのを先述したところの,壁面中間部と上部とを隔てる細長いフリーズにしばしば描かれた種類の花綱へと発展するように思われる。これらになると,ギリシャ陶画に描かれていた種類の植物文装飾とはかなり異なった形態になっており,壁面装飾の中の細長く水平にのびるフリーズや,床モザイクの中の狭い帯状の区画に適合して,簡潔で単純な形態へと整理されている様子がうかがえる。いっぽう,これらとは別に,さまざまな種類の果実をつけた樹木の枝を編んで,これを主要な成分とした花綱も,舗床モザイクや壁面装飾の中で次第に形成されて行く。この種の花綱(Fruchtghirlande)は,デロス島の舗床モザイクの中に最も早い例がみられるようであり,たとえば「イルカの家」の中庭の水盤を装飾しているモザイクでは,ザクロなどからなるいくつかの果実のみが,円環をなす細い装飾帯の中に一列に並べられた様子が描かれており,この装飾帯が他の種類の幾何学的モティーフなどを含んだ装飾帯などとともに,中央の円形のエンブレーマを囲む形式をとっている。これは植物の技を編まずに,果実のみを単純に並置したものであるが,果実の枝による花綱(Fruchtghirlande)の形成過程における変種がうかがえるようで,興味を引く作例であるといえる。しかし,同じデロス島でも「宝石細工師の家」の中庭ALの舗床モザイクを見ると,種々の植物の枝を密に編んで作られた葉綱に,祭祀用の帯(タイニア)が巻きつけられて,部屋の隅と各辺の中央に当たる位置(短辺では一ヶ所,長辺ではニヶ所ずつ)には,演劇用のマスクが吊り下げられた様子も表わされている。この種のWreath型の花綱や葉綱が,おそらくはソルントやボスコレアーレから発見されている壁面中間部に弧を描いて連なる垂下型の花綱(葉綱)装飾の直接の先行例であると考えられるが,このような舗床モザイクに描かれた花綱モティーフが,どのようなプロセスを経て壁面に投影され,同様の構成要素からなっていながら,室内空間の中の別の位置に移され,そこでの脈絡の中にどのように適応して行ったかということに関しては,今後さらに検討を重ねたい問題である。舗床モザイクに描かれた同種の花綱の例に関しては,このほかにもポンペイの「ファウノの家」の床面(第一様式で,現在はナポリ国立博物館蔵)があり,また,正確な製作年代は不明ながら,シチリアのパレルモ市のヴィットリア広場出土の家Bの床面など,南イタリアの各地からも,同種の例が発-321-
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