鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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⑲ 中国仏画の図像的研究研究者:神戸大学文学部助教授百橋明穂日本の仏教図像は奈良・平安時代に,中国・朝鮮半島からいわゆる唐本図像が断続的にもたらされ,次第に蓄積していった。やがて平安時代末から鎌倉時代にかけて,それらの膨大な量にのほ‘る仏教図像を収集し,整理し,また理論的に統一を図ることが行われた。この時期に多くの学僧によって,仏教図像の集大成がなされ,多くの図像集が作成された。しかし鎌倉時代以降の,いわゆる鎌倉新仏教の動向や一旦確立した仏教図像の規範の制約からか,鎌倉時代に中国から伝来した宋元の仏教図像に関しては,ほとんどこれらの図像研究や図像集の対象とされずに今日に至っている。なぜか宋元の新しい中国の仏教美術は珍奇の唐物としては尊重されながら,日本の風土や新興に融和することが少なかった。それはまた戒律を重んずる禅宗や真宗や日蓮宗のように思想性を重視する鎌倉新仏教が仏教美術に対してやや否定的であったことも大いに関係がある。よって現在伝来する宋元の仏教美術の図像では,従来の唐本図像の範囲内でその尊像の名称や図像的な解釈が可能なものについては比較的注目されてきた。また羅漢・十王図などは宋元の新渡の図像でありながら,浄土教や禅宗と結び付きながら,その意味するところの明白さにおいて簡単に受け入れられた。ところが現在全国の社寺や博物館に伝わる中国の,しかも宋元以降の仏教美術作品のなかには腺名やその意味する所も判然としない作品が以外に多い。さらにそのいかにも仏画のように見えながら,仏教的には解釈の及ばない図像と看取される作品がある。中国仏教は殊に宋元以降は道教やラマ教との混交によって発展していった。そのため道教との関わりを無視するわけにはいかない。ラマ教はやはりチベット密教の一部であり,同じ仏教の図像である。しかし道教の図像はその図像そのものの集大成さえも行われてはいず,一部の特殊な護符や陰陽道などに関わるいわば民間信仰の対象として民俗学のテーマとされていた。道教の図像を分かりにくくしているもう一つの理由は中国の道教それ自身が時代によって大きくその図像のヒエラルキーを変化させていることによる。唐代の道教図像は多くは仏教図像に取り入れられているので分かりやすい。しかし宋元以降明清へと道教図像そのものが大きく発展し,その尊像構成に一定の規範を求めることが困難である。よって六朝時代陶弘景が著した「真霊位業図」のような図像集成をもってして-324-

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