鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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は宋元明時代の道教図像は推し量れないのである。しかしそんな中で今回いくつかの成果を上げることができた。道教画といっても,大きく三つに分類される。1)は道教の尊像または諸尊を表したもの。老子を表した太上老君像や元始天尊像から,仙人や様々な神に至るまで,その数は限りない。またそれらを集合させた,いわゆる集会図も多い。2)は道教の仙人や神に関する説話画である。3)は本来は仏画であるのに,その脊属,もしくはその諸尊集会図中に道教の神や諸尊が紛れ込んでいるものがある。殊に宋元以降の仏教と道教の融合の結果,このようなものが多くなる。1)の尊像画として,東京霊雲寺に伝わる元の至元23年(1286)の年記を持つ天帝図と呼ばれる道教画の図像を解釈を試みた。また2)の道教説話図として,個人蔵の作品の説話解釈を試みた。また3)仏教美術への道教図像の混入の例として,明崇禎2年(1629)の年記を持つ個人蔵の千手観音図がある。また現在パリのギメー美術館やアメリカのクリーブランド美術館等に分蔵されている,明景泰5年(1454)の年記を有する“仏道諸尊及び冥官使者図”(仮題)などがある。しかし日本の従来からの仏教図像の知識からはその図像の比定に非常な困難を伴った。現在も研究は未だその途上にある。しかしそんな中から新しい知見としては,霊雲寺本の図像がほぼ解明でき,これを元に法隆寺本にもおよぶことが可能と思われる。今霊雲寺本を例として掲げ,道教図像の一端を示したい。霊雲寺本は,その主尊は{奇座し,冠を載せ,黒紫色の衣を着て,膝前に狭手するもので,その周囲に脊属が配置される。前面には四人の武将が,横には二人の文官と二人の女官が,そして背後の雲の間には二天鬼がいる。先ず手前の四人の武官から見てみると,向かって左に長刀を持つ関羽と,虎を連れたのは東北の悪霊を払うという張陵の化身とされる門神ないしは,武財神とされる趙公明であろう。さらに右には三眼で蛇の巻き付いた戟を持つ五恩主の一人王霊官,ないしはいわゆる北方の守護神の毘沙門天であろう。さらに恐らく鍾旭ではないかとされる青身にして剣を持つ天王,あるいは二郎神とも考えられる天王がいる。また左右の文官・女官は未だ図像の比定が困難である。しかし背後の二天鬼は左のは黒い旗を持ち,その旗には北斗七星が描かれている。よって北斗の脊属であろう。右のは大きな剣を持ち,あるいは偉駄天かと思われる。そうするとはたしてこの絵の主聰は誰であろうか。元始天尊や玉皇上帝ではない。むしろ玄天上帝,北極紫微大帝とするのが最も妥当と思われる。このようにして主尊よりも,むしろ脊属の図像が判明すればかなりその主尊の-325-

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