性格が明かとなる。仏教図像のように,持物や服制に一定の規則性がないので,その図像比定は曖昧な要素を残すことになるのはやむを得ない。これによって類似の諸尊が登場する法隆寺本もかなり脊属達の図像が判明する。少なくとも前面の四人の武将はほぼ霊雲寺本に近い。すなわち関羽・武財神趙公明(張陵)・鍾旭(二郎神)など。さらに老人の姿があり,武財神に対して土地神ではあるまいか。土地神は通例老人に著される。この四人の後ろには風神・雷神がおり,さらにその背後には文官姿と女官姿が左右に一体づつ,控える。中央の主尊は如意をとっており,冠も小さいため,その図像から恐らく三清の一つ,霊宝天聰(上清)と考えてよい。さらに上の円相の中の三尊はそれより上位の元始天尊と考えざるを得ない。このようにわずかな手がかりからこの道教画の主要な尊像の配置・構成が明らかにされた。しかし膨大な道蔵経典の博捜も必要としている。以上のように比較的簡単と思われる尊像画においてもかなりの困難を余儀なくされた。さらに説話的な道教画についてはこれからの課題である。むしろ仏教美術に混合した道教図像の検討のほうが手がかりが多い。その点で先に紹介した作例はより細かに分析を加え,今後成果を明らかにしたい。-326-
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