⑳ 江戸時代後期大坂における画家と儒者の交流~賛資料を中心に一研究者:大阪大学大学院文学研究科芸術学専攻博士課程はじめに江戸時代後期の大坂で活躍した画家たちについては近年その伝歴や主だった作品が紹介され注目が集まっている。しかし画家の作画活動や画家をとり巻く環境については未だに不明な点が多い。本研究は当時の大坂で活躍した画家と儒者の交流に注目することで,大坂の地が絵画活動の場としていかなる意義を有していたかを考察するものである。当時の大坂の儒者たちの詩文集には数多くの絵画作品への着賛の記事が収められ,また現存する絵画作品にも彼らの着賛が散見される。これらの着賛資料の中には単に画家と儒者の交流だけでなく,画家の制作活動や個々の作品の制作状況を明らかにするものも少なくない。本稿ではこれら着賛資料を主な材料に江戸時代後期大坂における画家と儒者の交流を18世紀後半を中心に概観した後,そのうちの具体的な事例として大坂の画家森狙仙,来坂の画家谷文昴について紹介を行いたい。大坂における画家と儒者の交流は,明和2年(1765)の混沌詩社結成を契機に活発なものとなる。混沌詩社は片山北海を盟主とし田中嗚門,平沢旭山,葛子琴,篠崎三島,木村兼頑堂らが参加した作詩結社で,後に鳥山松岳,頼春水らも加わり,18世紀後期の上方詩壇を風靡した。また当時の大坂における儒学の一大拠点として町人の教育に多大の功績があった懐徳堂の中井竹山らの儒者も混沌詩杜の詩宴に参加することが多かった。さらに明和年間に来坂した尾藤二洲や柴野栗山,またこれにやや遅れて来坂した古賀精里らの儒者も混沌詩杜の人々と交渉を持つに到った。これを契機に春水,竹山,二洲,栗山,精里らの間に朱子学学習の機運が高まり,後に松平定信によって幕府儒官に召しだされた二洲,栗山,精里の寛政の三博士は寛政異学の禁の立役者となった。混沌詩社を核とする儒者の人脈は,寛政期の学界の主流へとのし上がっていったのである(注1)。さてこれら混沌詩社の人脈に連なる儒者たちと交流を有した画人としては,時折混沌詩社の詩宴に参加した福原五岳,十時梅厘や同杜の人々との交流が確認できる岡田1. 18世紀後半の大坂における画家と儒者の交流闇松良幸-327-
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