また同時代のドキュメントに関しては,現時点で参考とすべき基本史料はわずかに20数件。以前に比して増加したものの依然として乏しい状態にある。[文末に掲載]史料・作品の両面において,各画人ひいては雪舟流全体の体系的な把握は,残念ながらいまだ困難な状況にあるといわなければならない。今回の助成研究に際して収集した資料を検討し,雪舟流全体の像を組み上げる作業は,その大半が今後の課題として残されることになろう。本稿では本研究における収集資料から得た知見をもとに,比較的詳しい画歴の知られる画人についての概略を中心に述べてみる。なお,本研究において作成した作品および資料のデータベースについては,紙数の関係で本報告書においては公開できないが,その成果の一部を山口県立美術館発行「室町時代の雪舟流」(筆者編)に掲載しているので,参照いただきたい。またこれらのうちの文字データに関しては,MS-DOSテキストファイルにて配布が可能である。1.雪舟流雪舟本人に画法伝授の意識があったことは種々の資料から確認できる。また教えを受けた弟子たちによる「雪舟流」の継承も,弟子それぞれでありかたに違いがあるとはいえ,まぎれもない事実である。史料は何人かの弟子の雪舟との明確な師承関係を示しているし,彼らの乏しい遺作からでも雪舟風の濃厚な作品を抽出することは容易である。彼らは狩野派などのような工房的な組織としての流派体制をもってはいなかったかもしれないが,雪舟の流れをくんだ作家たちが相当数存在したことは確かである。しかしいま画伝類や画家系譜にひかれる数十人の画人たちのいちいちについて述べるわけにはいかない。なぜなら画伝類の記述以上に述べるべきことがらのある画人,または複数の検討すべき作品のある画人はさほど多くはないのである。さて,雪舟本人から画法伝授の証として与えられた作品,またはその写しが現存する画人が三人いる。「破墨山水図」(東京国立博物館蔵)の如水宗淵,「雪舟自画像」(模本:藤田美術館蔵)の秋月等観,倣高克恭「山水図巻」(山口県立美術館蔵)の雲峯等悦である。この三人のほかには,『等伯画説』のいう等春や,雪舟のいた雲谷軒(庵)の後住とされる周徳,時期は不明ながら雪舟から受けた画本の記録がある等本,萬里集九を介した雪舟との関係が想定される如寄らは,直接教わった弟子である可能性が高い。その他の画人については,いまのところ雪舟との直接的な師承関係を示す信頼-337-
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