鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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文方印「東海秋月図書」朱文方印「入唐秋月居士」朱文方印「漁隠図書」が有力な伝称作品に使用されている。そのうち最も信頼性の高いものは朱文方印「日本薩陽釈氏等観」で,雪舟の玉澗様の撥墨法をよく咀哨した「山水図」(フリア美術館蔵)などの作例がある。その他の伝称作品では,独特の無雑作ともいえる人物デッサンが共通する「鍾旭図」や「船子灰山図」(正木美術館蔵)「布袋唐子図」などの作品,雪舟風を祖述した「鍾旭図」(ボストン美術館蔵)「芦雁図」などの作品にも注意が必要である。秋月は薩摩に帰ったあと数人の画の弟子を育てている。さきにふれたとおり「画史的伝宗派図」には6名の弟子の名が記されており,そのうち等藝.等披・等碩・等薩秋月譲りの画法を忠実に守ったものと考えられる。彼らの作品のなかでは,天文6年頃に周徳より画本を付与されたとされる等薩の有力な伝称作品である「花烏図屏風」(国立ヴィクトリア美術館蔵)が注目される。この作品は,天正3年(1575)の年記を有する。2)如水宗淵宗淵は鎌倉円覚寺の蔵主職をつとめた禅僧である。彼は周防の雪舟のもとで画法の伝授を受け,明応4年(1495)雪舟自筆の「破墨山水図」(東京国立博物館蔵)を携えて東帰したが,その途次,京都で五山の文学僧たちをたずねて同図への題詩を請うている。京都では蘭波景宦に詩作の指導を受ける(『翰林胡薦集』)など,詩と画をもって五山僧たちとの関わりをもったことが認められるが,後の動静は全く確認できず,唯一鎌倉に伝存する伝称作品「践陀婆羅像」(円覚寺蔵)が鎌倉帰着の可能性を示唆するに過ぎない。宗淵についての記述によくひかれる雪舟筆宗淵宛書状は,鑑識上の決め手を欠く現時点では積極的に評価できる史料とはいえない。宗淵には,その作品のほとんどに捺される朱文方印「如水」があるので,雪舟流画人のなかではとくに作品の鑑識が進んでいる。「如水」印と同時に捺される朱文方印「頓首再拝」朱文鼎印「棠雪」も彼の印と認めてよく,款記や文学僧の賛詩を自ら移したものからは筆跡も知ることができる。宗淵の基準作を通覧してみると,作風の面ではあまり雪舟風という印象は強くない。筆はやや弱く,繊細な作風である。3)等春周防長門地方以外での活動が目立つが,基準作である大内義興旧蔵「人物花鳥図押の4名にはその作品とおぼしき画がのこっている。それらはやはり雪舟風が濃厚で,-339-

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