芳昌忠の題詩がある「山水図」(バークコレクション)には基準印と異なる「周悪」印が捺されており,作風にも雪舟風なところは少ない。鎌倉の2僧の題詩,関東風の作風から『画工便覧』が宇都宮の人で元信・雪村に学び「周徳」の印を捺したという都布良という号の画人の可能性を考慮したい。さて,周徳をはじめとする雪舟ー派には,正木美術館などにあるような玉澗様撥墨山水図の遺作が多い。これは他の画家集団にみられない特徴である。その意味でこの画法をよくする周徳は,雪舟流を正統に継承した画家と認められる。ところが,近年楷体の作品もいくつか発見され,周徳の画技の輻をひろげる必要が生じた。雪舟風の顕著な濃彩の道釈人物画「釈迦十六羅漢図」などはその最たるもので,撥墨山水というどちらかといえば禅余画的な作品だけでなく,礼拝画的な仏画までもこなす専門画家的な作家像への修正を余儀なくされたのである。ほぼ同時代の作家雲漢永恰の大内氏周辺をパトロンとした職業画家的な活動を考慮にいれれば,この時期の周防の雲谷軒周辺における工房的な組織の存在の可能性も考慮すべきかもしれない。5)樗屋如寄如寄は永らく明人と考えられてきた画人である。款記の「大明遊子」の語と,中国画の影響の強い画風がその原因であった。ところが,現在では巌端筆「送日東如寄帰国序軸」によって,入明経験のある日本の俗人であることが明らかになっている。さらに最近萬里集九を介した雪舟との関係が明らかにされ,作画期間も想定できるようになった。萬里集九著賛の「柿本人麿図」(正木美術館蔵)は,遅くとも文明2年(1470)以前に描かれ,集九の著賛を得ている。「花鳥図」(東京国立博物館蔵)の賛者了庵桂悟の没年が永正11年(1514),遣明使に従って明から帰朝したのが明応5年(1496)なので,渡明をはさむ15世紀後期から16世紀初の活動が想定できるわけである。如寄はかなり文人志向のつよい人物のようで,遊印を多く捺す点や,数少ない彼の作品のうちに,前述の萬里集九・了庵桂悟の題詩のある作品や策彦周良賛「渡唐天神図」(出光美術館蔵),さらに明の文人循仲和著賛の「柿本人麿図」(正木美術館蔵).雲屋思胤賛「達磨図」(東京国立博物館蔵狩野家模本)といった賛詩をともなう作品が多いのが特徴的である。「西湖図」(天寧寺蔵)も,林和靖や蘇東波といった詩人の故地を描いている点で同様の志向の産物といえよう。作風には「西湖図」をのぞいて一見とくに雪舟風といえる特徴は感じられないが,-341-
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