鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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と30年以上前ということになり,元興寺本が復刻本でも彫版技術の点からみても十分元興寺の如意輪観音菩薩摺仏の紙背には「貞応3年6月日女竹」の墨書があり,それによって貞応3年(1224)の年代が判明し,制作年の下限が決定されるのであるが,版画の性格からいっても貞応3年をそう遡るものとは思えず,鎌倉初期の摺仏として,また,制作年代の判明する貴重な作例として版画史のみならず絵画史の面からも如意輪観音の図像として注目されていた。ところがその前後に制作年の判明する大型でしかも繊細な版刻線をあらわす作例がなく,また,宋版もしくは宋版復刻の問題点を含めても比較作品がないので元興寺本は版画史のなかでも格別に取り扱われ宙に浮いた感があったのである。長泉寺の木造毘沙門天立像を次いで紹介されたのは鈴木喜博氏で『広陵町の仏像』の中で詳細に像を報告また検討されている(注3)。それによると平安期に優美さを兼ね備えたもので平安最末期のものとして位置づけられるという。この十一面観音摺仏の様式などを考えても平安末期であることは認められ,とすれば,元興寺本に遡るこ頷けるところとなる。その意味からも長泉寺本の十一面観音菩薩は重要であるが,平安期の図像の特徴を示すことでもおおいに注目できることは自明である。平安期の大型の摺仏となると,法隆寺三経院の木造持国天像と木造増長天像の像内から取り出されたやはり十一面観音菩薩が著名であるが,それでも法隆寺本の十一面観音の高さは21センチであって,大きさの問題においては比較にならないほどの長泉寺本がおおきいものである。ただ,法隆寺本の場合も十一面観音菩薩のほかに7種の印仏が納入されていたのであって,そのなかでやはり十一面観音だけが大型であることに注目できよう。背景には『法華経』による観音信仰なども考えられるが,像内納入品であることも考え合わせて今後の課題としていきたい。さて,長泉寺本の図像であるが,火焔光の付した光背を背負い,右手を垂下して体側の外側に出し念珠を執り,左手は屈腎して蓮華茎の挿さった水瓶を持ち蓮台に立つ姿である。この二臀の図像は『陀羅尼集経』に説かれる像容に近い。平安期の十一面観音の図像については川村知行氏の詳細な論考があり(注4)'それを参照にすると,図像の集大成である『覚禅紗』の十一面巻の先行する図像集として勧修寺・寛信撰の『類秘抄』があり,さらに先行する図像集で東寺・観智院系の『十一面抄』があるという。これらに掲出される十一面観音の図像を参考にすると図像的には「集経像欺」とされる図像にほぼ一致することがわかる。光背は火烙光こそないものの大振りなニ-355-

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