2.岡山県玉野市蓮華庵所蔵性海霊見著賛の不動明王三尊摺仏(図②〕重光背であり,両手の位置や持物,天衣の広がり具合いなどほぼ一致する。したがって,長泉寺本は「陀羅尼集経像」とされて流布していた図像を基にして成立し,丁寧かつ詳細にあらわされて版下絵となり,彫版され摺写されたものであることが推察されるのである。この『陀羅尼集経』を所依教典として制作された十一面観音の画像は,十一面観音菩薩の画像で平安期に遡る作例がそう多くないことも手伝ってか余り確認はできないが,先年重要文化財に指定された個人蔵の十一面観音坐像がある。この像は右斜めを向き坐像であるが,両手の位置や持物から『陀羅尼集経』を所依としていることは明白である。この像はその描法から南都仏画の平安仏画とされていることも注目される。また,ちなみにこれと同じ図像は心覚撰の『別尊雑記』の十一面の巻にも同様な姿で掲載されている。このように正統的な図像を版下絵としたことを考えると,本体である木造毘沙門天立像の製作者の問題にも係わってくることでもあるが,図像の伝来が確実な筋,すなわち密教僧や絵仏師のかかわりあいが想定されよう。この摺仏の大きさも40センチと密教図像が粉本として伝来している大きさに近いものがあり,さらに想像を退しくすれば,版下絵の作成にも工房制作的な背景も考えられよう。また,十一面の頭部の十一面の配置には化仏が配されておらず,下から七面,三面,一面の順に配されているが,これまた,『十一面抄』の像に一致し頭頂面の配置も集経像のそれを踏襲していることがわかるが,頭頂の各面のあいだに花文が配されているのも特徴的で天衣の広がり方も版画であることを超えて絵画的な平安期の特色をも表している。以上,簡略に長泉寺本の十一面観音摺仏をみてきたが,南都の特色と平安期の色合いを出した貴重な作品であることがわかる。平安期の絵画遺品も決して多いわけではないので摺写された作品の基となった図像を考えると,その時代の特色を前面に出したものであることがわかろう。絹本墨摺一幅74.1X 35.6 南北朝時代本像は絹本に不動明王並びに二童子を摺写したものである。絹本は版画においては珍しいもので通常は紙本に摺写されているものが圧倒的に多いが,絹本に摺写されていることで何か特別な理由があるものか,画像の代用というか,礼拝用もしくは鑑賞-356-
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