鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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6)'後世になっても妙沢不動様として開板された不動明王は数多く,その人気の程がこのような図像は長賀筆の白描醍醐寺本不動明王図像に酷似するが,この長賀本は画面上部紙背に「以高雄曼荼羅本様模之長賀法眼書」との墨書があり,これによってこの図像が高雄曼荼羅図に描かれる不動明王図を規範として模写されたものであることが判る。また,高雄曼荼羅図の不動明王図を確認してみればほぼ一致し,この墨書の背景が確認される。一方,連華庵本には衿翔羅童子と制多迦童子の二童子が配されているが,この二童子の大きさが不動明王に比べて小さく不自然であることから後に付加されたものと考えられ,とすれば,不動明王像の図像が版下図作成の際に長賀本系の図像から選ばれ,二童子が加えられ,三尊像として成立し,彫版・摺写にいたったものと考えられよう。さて,長賀の作品には前期の白描不動明王図像のほかにも,米国,フリーア・ギャラリーの衿掲羅童子と制多迦童子,また,十六羅漢像などが知られている。活躍した年代的には鎌倉中期とされており,蓮華庵本を遡ることとなり,長賀との関連を直接的に求めることはできないが,長賀を継ぐ次代の栄賀は南北朝期に活躍している。栄賀は長賀とほとんど同一に類似した作品を残しており,伝統性及び保守性という点が指摘されるが,そのほかにも重要文化財の常磐山文庫蔵の柿本人麿図をのこしている。この人麿図には著賛があり,それは性海霊見の筆となっている。性海霊見の著賛があるものとしては重要文化財の奈良国立博物館本である明兆筆大道ー以画像がある。この明兆と栄賀は画風においても画題においても近い関係にあることが金沢弘氏によって指摘されているが(注5)'ともに性海霊見が著賛していることも看過できない。さて,不動明王を南北朝〜室町初期に好んで描いた僧といえば龍漱周沢が著名であり,肉筆肉彩の不動明王像を数多くのこしているが,ほかにも版画で不動明王像を制作している。また,自らはとある理由によって周沢ではなく妙沢と称したようで,その落款を残した作品も伝来している。南北朝期にはじまる版画の大型化のなかでもこの妙沢不動は重要な位置を占めるものであることは先学諸氏の指摘の通りであり(注知られるが,妙沢様の不動明王図はすべて立像形式である。その妙沢不動は鎌倉期の絵仏師円心の描いた不動明王図に類似することから円心様を基本としているとされている。この円心様は後の不動明王画像の規範となったとされるほど典型的なものとされるが,蓮華庵本と妙沢不動を比較してみると,立像と坐像の違いや蓮華庵本が長賀様であらわされているものの,顔相に限ってみれば全く両者は類似する。顔相だけを-358-

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