ヽノノヽ3.与田寺版の弘法大師善通寺御影〔図③〕一日敬印十二天像以1馬仏法護持矢大願主僧呼同志刊凋聖宥」とあり,応永14年立等)や開板の問題(東福寺版等)そして開板者を考える時に様々なものを提示してくれる作例といえよう。著賛の霊見自筆の問題が残るが不動明王の図像の問題を含めて今後の課題としたい。紙本墨摺手彩色一幅92. 0 X 52. 6 室町時代与田寺版といえば応永年間刊行の十二天像が著名である(注8)。室町期に制作された大型版画の屈指の作例であり,版木は現在も香川県の与田寺に伝来しているが,十二天の内の梵天像が持す戟に「讃州大川郡与田神宮寺虚空蔵院応永十四丁亥三月廿(1407)の開板年が判明するほか,開板の目的,開板地,開板者,願主を明確にしている貰重な刻銘である。これを以て与田寺版と称され,後版も開板され,いずれも木版墨摺の後に手彩色をはどこしたものである。また,のちに復刻されたものとして与田寺に伝来する版木と同様なものが岡山の浅口郡の霊山寺に残っている。世に与田寺版と称するほど著名なものではあるが,十二天以外のものは確認されておらず,与田寺の現住職にお尋ねしても十二天以外の存在を知らないとの答えが返ってくるものであった。刻銘図③-360-
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