注(1) 菊竹淳一ほか編『日本古代版画集成」筑摩書房刊1984年(2) 田中義恭「長泉寺毘沙門天像・納入品」『奈良国立文化財研究所年報』1980年(3) 鈴木喜博「毘沙門天立像」『広陵町の仏像』広陵町教育委貝会1992年(4) 川村知行「十一面観音の諸図像」『古美術』76号1985年1974年(6) 秋山光夫「妙沢と不動画」『画説』64号1942年(7) 川瀬一馬『五山版の研究』1970年(8) 禿氏裕祥「応永版の十二天像に就いて」『仏教美術』17号1930年1984年倉・南北朝期の像内納入品と印仏の流れと鎌倉後期からの大型化の摺仏の流れがある。制作背景については未だ明らかにできない面が多々あるが,今回新たに提示した作例はいずれも図像的背景や製作者の問題が朧気ながらにも推察できるものである。例えば,長泉寺本の十一面観音菩薩は図像的な点からと本体である木造毘沙門天像についての解明が進めば自ずから制作背景が判じられるであろうし,また,蓮華庵本の不動明王像も図像的な点と性海霊見の著賛,そして東福寺と五山版,妙沢不動等の点から更に明確に検討が可能になろう。また,与田寺版の善通寺式弘法大師御影についても十二天像や増呼との関係から更なる解明点が見いだせることと思う。菊竹淳一『仏教版画』「日本の美術」218号至文堂刊1984年この二書が仏教版画研究の従来からの中心書であり,そののちは,町田市立国際版画美術館編『大和路の仏教版画』東京美術刊1994年がある程度である。(5) 金沢弘「明兆とその前後」『水墨美術体系第5巻可翁.黙庵・明兆』講談杜刊梅津次郎「仲安梵師筆不動二童子像に関して」『美術研究」69号1937年(9) 浜田隆「弘法大師像の成立と展開」『密教美術大観』第4巻朝日新聞社刊-362-
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