鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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c印の作品群についてはどうだろう。これらの中で最初に取り上げられるのは(3)「三いにはなるだろうが,その間に5印すべてを同時に使っていたのであろうか。それとも,使用時期に違いがあったのだろうか。もし仮に後者であったとすると,従来作品の真偽を判断するための目安としてのみ扱われてきた元信印が,作品の制作時期あるいは先後関係を推定するための手懸りをわれわれに与えてくれることになる。さらにいえば,元信やその弟子たちの作品が混在してはなはだ曖昧な状況になる流派様式としての元信様の展開と,元信画自体の展開を把握することにも繋がっていくように思われる。はたしてそうした展望が開かれるか否か,先に掲げた作品群から制作時期の知られる作品を抽出し,その可能性を探ってみよう。まずA印を捺す作品群の中では,(9)「竹虎図絵馬」と(10)「香厳撃竹図」を挙げることができる。(9)には大永5年(1525)の年記と「筆者狩野大炊助元信」の款記があり,元信とすれば49歳時の作となる(ここでは文明8年生年説に従う)。また(9)とまった<同じ款記と年記をもつ絵馬に「神馬図」(子守神杜)があるが,この作品の印は付きが悪く,A印か否かは判断し難い。一方の(10)には大徳寺89世・伝庵宗器(1483■1533)の賛が施されている。賛に年記はないが,大永7年(1527)に名乗りはじめる「伝庵」の印が捺されているので,この年が図の作期の上限を考える上での参考になろう。またその下限は,彼が示寂する天文2年(1533)である。次にB印の作品群についてみていくと,まず(15)「花烏図下絵画巻」が挙げられることになる。この作品には北野天満宮の別当職にあったとされる重英なる人物の奥書きがあり,それによると天文17年(1548)に元信に依頼して描かせたものという。この年は元信73歳の晩年にあたり,先の(9)と比べると20数年も後の作ということになる。加えて,(16)「四季花鳥図屏風」には「狩野越前法眼元信生年七十四筆」の款記があり,翌年の作と判明する。また(18)「竹林七賢図」はその翌年の天文19年(1550)の作であって,(16)と酷似した書体の「狩野法眼元信筆生年七十五」という款記が施されている。さらに,近衛植家(1503■1566)着賛の(20)「浦島図」は彼の没した永禄9年(1566)が作期の下限となるが,そこにみる流麗な書体は植家晩年期のそれを想わせる。天文後半期以降の着賛と考えて,とくに問題はないものと思われる。なお,(17)「四季花鳥図屏風」は押印の状況が悪く,確実にB印と断定するには到らなかったが,やはり天文18年に描かれたことを示す「狩野法眼元信筆生年七十四」の款記を有している点で注目されよう。_368-

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