の遺品としては「狩野法眼元信七十七齢書之」の款記をもつ(7)「商山四皓•竹林七賢の2点である。(8)には「狩野法眼元信七旬有九筆」,(9)には「狩野法眼元信七十有九筆」祖図」であって,図中には天文17年の年記を有する大仙院の古嶽宗亘(1465■1548)の賛が施されている。先述したようにこの年にはB印を捺す(15)か制作されており,これによりB印とC印が同じ時期に用いられていたことが明らかとなる。作期の上で(3)に続くのは(12)「西湖図屏風」であり,各隻に「狩野越前々司法眼元信七十五齢書之」の款記が認められる。だが私見では,この作品の筆法および賦彩法にはむしろ近世初期の狩野派との関連をうかがわせるものがあり,やや時期の下る忠実な擬古作の可能性があるようにみうけられる。ただし,そこに捺された印は明らかにC印であり,後々まで元信印が狩野家に伝えられていった状況を察知させる点で興味深い。そういえばB印を捺す(19)「扇面画帖」は永徳の弟・宗王秀の作であるし,またE印が確実に後捺しされた(5)「四季山水図屏風」などの例も存在する。作品の真偽等を検討する上で,この点については今後,より慎重な配慮が必要となろう。C印を捺す作品で次に位置するのは,(8)「雪中花鳥図屏風」と(9)「雪中花鳥図屏風」の款記が施されており,ともに天文23年(1554)の作とわかる。筆者の知る限り,作期が判明する伝元信画の中では,この2点が最も後れる時期のものである。それ以前図屏風」があるが,残念ながら押印の状況が悪く,確実にC印とは断じえなかった。ただし,その特徴は明らかにC印のそれを示している。ところで,C印で大いに注目されるのは,ある時期に印の左側の耳の上半分が欠損することである。例えば(10)「山水・人物・花鳥図」は本来6曲1隻の押絵貼屏風であったもので,今は6幅1対をなすが,そこに捺されたC印のすべてに欠損が確認される。また,こうした状況は1双屏風などの場合もまったく同様であって,けっして印付きの悪さに起因するものでないことは明らかである。その観点で(7)を除く11点の作品の印の状況を再検討してみると,(1)から(6)までは未欠損,(8)から(12)までが欠損していることがわかった。これに従えば,天文17年(1548)から同23年(1554)の間に欠技したことになるが,もし先述した(7)の印がC印であれば(その印は未欠損),欠損時期の範囲は極端に狭まり,天文21年から同23年のごく短い間に限定されてくる訳である。こうした欠損時期については新たな資料の出現を侯って補正していきたいと思うが,ともあれC印の欠損の有無は,それを捺す作品の大まかな先後関係を明らかなものとする点で注目されよう。-369-
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