次にD印の作品であるが,それらのうち最も作期が遡る可能性をもつものとして(8)「神農図」を挙げることができる。図上には建仁寺246世の月舟舟桂の賛が認められ,年記はないものの,彼の示寂する天文2年(1533)が作期の下限となる。その点,B印やC印よりは,むしろA印の使用時期と接近してくることが了解されよう。この(8)に続くのが(10)「冷香斎図」である。図上には当時南禅寺にいた惟高妙安の長文の賛があり,天文13年(1544)の年記を有する。その賛には惟高自身が画工に命じて描かせた旨のことが記されているので,図もこの年の作であることは動かない。天文13年といえば,今度はB印やC印の使用時期に近づいてくることになり,D印が少なくとも十年以上は用いられていたことが確かめられよう。このほか,(11)「釈迦・達磨・臨済図」にはC印を捺す(3)と同じく古嶽の賛があるが,残念なことに年記はなく,彼の示寂した天文17年(1548)を作期の下限とせぎるをえない。最後のE印の作品については年記や賛をもつものが皆無であるため,現状において印の使用時期を検討するのは不可能である。以上,元信印を捺す各作品群の中から作期の知られるものを抽出してみたか,その結果として,ごく大まかながら印の種類によってその使用時期にかなり大きな違いのあることが確かめられたように思う。ここでそれを要約してみると,まずA印の使用時期は4印の中ではかなり早く,大永から天文期初め頃を中心としていたことがうかがわれる。それに続くのがD印であり,大永から天文期中頃までの使用が確認された。残るB印とC印は明らかに併用されており,しかも天文期の後半にその使用が集中していた,というものであった。各印の使用時期の幅については新出資料の出現等を侯って徐々に補正していくつもりだが,今のところは天文期中頃をひとつの境としてそれ以前にA印とD印が用いられ(注6)'それ以降,B印とC印が使われるようになったという見通しを立てておきたい。これに従えば,先に列挙したA印やD印を各々捺す作品群よりも,B印やC印の作品群の方が後から制作されたとみなされる訳である。さて,こういった箪者の推測が正しいと仮定した場合,次なる検討課題として自ずと浮上してくるのは,元信自身の画風およ流派様式としての元信様がいったい如何なる展開を遂げたか,であろう。これを明らかにするためには,先に印の種類ごとに分類した作品群の画風的特徴の検討と作品群相互の画風比較が不可欠なことはいうまでもない。今後は周辺画家の作品の探究と並行する形を取りながら,その考察を進めて-370-
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