④ 繍仏研究—7,8世紀の2つの作品を中心に研究者:早稲田大学非常勤講師刺繍により仏教尊像を表わすことは,『大乗造像功徳経』巻第二の文言に見る通り造像法の一つとして勧奨され,中国南北朝時代にはすでに制作を伝える史料や遺例が散見されるが,ことに七,八世紀における盛行は仏教美術史上看過しえない。この時期,唐では大量の繍仏の集中的な制作が,また我国においては法量の大きな作品の相次ぐ造顕と大寺院への施入が行なわれた。しかしながら,こうした繍仏について,制作機縁,発願・制作の主体のありよう,主題の選択,図像構成や表現における画像との相違などを問題とし,仏教美術史の流れの上に位置付ける試みは殆どなされてこなかった。それは,現存作品がごく限られていること帳勧修寺に伝来した奈良国立博物館所蔵「刺繍釈迦説法図」,敦煙莫高窟から将来された大英博物館所蔵「刺繍釈迦霊山説法図」を数えるだけであり,あとは小品や断片に過ぎない。分のままであったと言わぎるをえない。しかし帳として用いられた天痔国繍帳はむしろ,当時の繍仏制作に於いては特殊な作品と見倣すべきで,礼拝像形式をとる後二者すなわち勧修寺伝来繍仏(以下勧修寺繍仏)と大英博物館所蔵繍仏(以下敦燻将来繍仏)に対する作品論こそ,七・八世紀の繍仏研究の立脚点になると考える。本研究はこの見地に立つものであるが,以下にその成果の概要を報告したい。1.勧修寺繍仏について従来制作年代に諸説あり,制作地についても中国説と日本説が相半ばするなど未解決の問題の多い作品であるが,個々のモティーフの図像的特徴が法隆寺金堂壁画と極めて類似することが指摘されており,両者の制作にはなんらかの密接な関係があったという推測がしばしばなされている。その結果,繍仏の作者は金堂壁画を参照しつつ制作したとする説や,壁画を描いた集団が繍仏の制作に関与したとする説が提示されているが,その当否はひとまずおいても,金堂壁画の図様に対して本繍仏をどう位置付けるかが,この作品を考える上でのひとつの眼目になろう。繍仏の図像構成は中央の{奇坐仏をひときわ大きく表わし,十四体の菩薩,十二体の音声菩薩,六体の鳥に乗る神仙,十体の比丘と俗形十三体を周囲に配置している。各に原因があろうが,天寿国繍帳以外の個々の作品研究も極めて不十肥田路美この時期の遺例は我国の天寿国繍-30 -
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