鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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⑭ 1930■40年代の日本の洋画壇における美術批評家の役割_川路柳虹,外山卯三郎,荒城季夫の活動を中心に研究者:宮内庁三の丸尚蔵館学芸室研究員大熊敏之はじめに美術史研究において,対象とする作家,作品,美術動向についての美術批評史ないしは研究史的考察が,当の研究課題に取り組むうえで重要な意味を持つことは,改めていうまでもないかもしれない。しかし,日本近代美術史の分野では,この視点は従来,比較的軽視されがちであったように思われる。もちろん体系的な日本近代美術批評史の試みとして,中村義一氏の先駆的な業績を忘れるわけにはいかない。また,幕末から明治時代にかけての美術については,同時代の美術理論,美術評論が実制作におよぼした影響が正当に認識され,近年,さまざまに史的考察の対象となっている。だが,こうしたなかで,1930■40年代の美術については,批評と実作の影響関係を実証的に論じた研究例をこれまでにほとんどみいだすことができない。わずかに研究が深められているのは,日本の超現実主義美術の展開に果たした瀧口修造の役割についてのみであろう。それにもかかわらず,1930■40年代の日本美術の展開における美術批評の役割の全体像は提示されていない。だが,この時代の多彩で複雑な美術動向を明確に分析するためには,ぜひとも,ヨーロッパ近代美術の受容と日本の美術家たちの制作活動に与えた美術批評家の影響を体系的に把握する必要があるのである。本調査研究計画は,こうした従来の日本近代美術史研究で見落とされがちであった部分をいくばくかとも補い,さらに報告者がここ数年研究課題としている1920■40年代の日本洋画史についての考察をより深めることを目的として構想されたものである。そして,研究対象として,ここでは川路柳虹,外山卯三郎,荒城季夫の三人を取り上げることとした。川路は京都市立美術工芸学校と東京美術学校で日本画を学び,卒業後は詩人として活動したのちに美術批評を開始した。また外山は,北海道帝国大学予科,京都帝国大学美術史学科在学中に大正期新興美術運動に参加したのち,美術批評家へと転身する。そして荒城は,暁星中学校,早稲田大学英文科を卒業後,美術批評への道を歩みだす。それまでの“美術批評家”の多くが実作者もしくは文学者,ジャーナリスト,美術史学者であったのに対して,彼らはいずれも,はじめての自覚的な-372-

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