なものであったことがわかる。実際,川路は,美術批評のあり方について,批評家の規範は批評家自身にほかならず,その資質としては,直感が最も重視されるという趣旨の発言をおこなっている(「美術批評なるもの」『アトリヱ』12-9 1935.10)。いうならば,川路の美術批評とは,単に印象批評というよりも,“感覚批評“とでもいうべき恣意的な性格の強いものであったのである。それは,ある意味では,彼自身が支持した島崎や岡田,新制作派協会の画家たちの表現と同じく,「新しい時代的空気」のなかから生まれ,「時代の知覚」によりそったものだったといえるのである。そしてそれゆえ,川路は,新制作派協会の作家たちがあまりにも感覚主義的な制作態度から時代の動向を無批判にとらえ,“戦争画”的なモチーフをも最新流行の風俗として画面にとり込み,ついには彼らの作品が“戦争画”を準備するひとつのi原泉となる危険性をそなえていたことに気づかなかったのである。この点こそが,まさに1930年代の川路の批評がかかえた最大の問題であったと考えられるのである。II.外山卯三郎—前衛美術への誤解川路柳虹とは対照的に,新しい前衛的絵画表現の啓蒙的紹介者として昭和初期の日本の画壇で活躍したのが,外山卯三郎であった。大正期新興美術運動の実践者から1930年協会の支持者へ,さらにはシュルレアリスム絵画のもっとも初期の日本への紹介者という道筋は,一見すると,大正期新興美術運動と昭和期前衛美術の断絶を批評の分野で埋める稀有な例とみえるかもしれない。しかし,外山の著述文を詳細に分析すると,そこには多くの事実の誤認や用語の誤訳,筆者の独断に満ちた奇妙な見解が随所にみられることに気づく。たとえば「シュール・リアリズム」(『中央美術』14-8 1928. 3)では,まずシュルレアリスムをキュビスムの発展と位置づけたのち,その代表的な画家として,シャガールの名前を挙げる。「何ぜとなれば,あれ程多くのシュールリアリストの詩も演劇も,如何なるものをも,彼の画布の上に見ることが出来るから」だという。そして一例として,エリュアールの詩作品「他の人」とシャガールのく室内>を対比紹介する。さらに両者の描写内容の類似性をもって,シャガールを「彼こそはアポリネエル以上の詩を物語る不可思議の魔術師である」と位置づけるのである。すべてにわたり不正確な記述といえるか,それ以上に問題なのは,ここで取り上げられているシャガールの絵画を外山は実見したわけではなく,「画家里見氏の見た」作品の伝え聞きとして論述していることで-375-
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