1920年代初頭のヨーロッパでの抽象表現をめぐる出来事や芸術論,作品についての不ある。これに対して,翌29年4月号の『中央美術』誌に掲載された「ユーバア・レアリステン」では,さすがに前稿の誤りに気づいたとみえ,「シュールレアリズム的精神の作家として,又シュールレアリズム的幻想の作家として最も優れてゐるためであって,彼シアガールを全くシュールレアリストと定めるためではなかった」と弁明している。また,シュルレアリスムの直接の母胎をダダイズムであるとも訂正している。紹介される画家たちも,キリコ,ェルンスト,ミロ,ピカビア,マッソン,マン・レイ,タンギー,アルプ,クレーと,ブルトンの基準に照らし合わせても誤りがない。だが前稿との整合性を保つために,シャガールを「シュールレアリズムの精神に恵まれた,ヌーボウ・フォービストである」と規定し直し,「純粋な」シュルレアリスムをドイツ語の「ユーバアレアリステン」と命名するという主張は理解しがたいものである。もっとも,シュルレアリスムについては,外山以後,福沢一郎,瀧口修造らによる正確な紹介がなされるため,その後の日本の画壇への悪影響は少なかったと考えられる。しかし,1930年代前半の日本での抽象絵画受容の遅れについては,外山の犯した罪は小さくなかったのではないだろうか。外山は1930年代前半を通じて,『みづゑ』誌などのほか,金星堂から出版された季刊誌『新洋画研究』や各種の著作のなかでヨーロッパのさまぎまな新しい絵画動向を紹介するが,そのなかでとりわけ多くの読者を得たと考えられるのが,1930年発行の『二十世紀絵画大観』である。「二十世紀絵画へのパス・ポートであり,又ガイドブック」であることを序文でうたった同書は,当時の美術書としては珍しく,1933年に再版増刷されている。そして,そのなかで外山は,正確きわまりない理解をあらわにしているのである。カンディンスキーの芸術を「絶対主義」と命名したうえで,1920年代の「幾何学的抽象時代」を「作品が理論にひきづられ」「テオリイのために作品を作る」「カンヂンスキイの堕落時代」と述べて,「一九二九年に開かれたパリでの展覧会を見ても,カンヂンスキイは幾何学的な抽象図を描いてゐる」「それはレゼエのメカニズムよりも,もつと設計図に近いデコラションに類するものである」と断じる。また,モンドリアンやドゥースブルフをはじめとする純粋抽象の画家たちの活動をピュリスムと混同したうえで,彼らの作品を「殆どとる可きところがない」と批難し,その理由を「ただデコラテイフな」だけの「決して心の芸術ではあり得ない」ものだからと論じるのである。これはまさに,抽象絵画を装-376-
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