鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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「近代美術と土人芸術」(『みづゑ』2931929. 7),「新しき世紀の美術」(『みづゑ』2951929.9)などを発表して,新進の美術批評家としての活動を開始する。それらの著述文のなかで,ピュリスムやシュルレアリスム,20世紀美術とニグロ芸術の関係などヨーロッパでの新しい美術動向はほぼ正確に記述されている。さらに「現代美術の都会性」(『みづゑ』3021930.4)と「フランス画壇新人展望」(『みづゑ』3291932. 7) では,ェコール・ド・パリの画家たちの活動とヨーロッパのプロレタリア傾向の美術潮流が注目され,高い評価が与えられている。それは,これらの具象表現がいずれも「近代性」「都会性」に満ちた現代杜会の現実を「動力感」豊かにあらわしているとともに,健康な「新しい美」をそなえているからであるという。そして,このドイツ第三帝国の美意識をも想起させる「近代的な現実主義」と「健康性」は,以後,1930■40年代の荒城の著述文のなかに繰り返しあらわれるキーワードとなる。ことに,官展・在野展,洋画・日本画を問わず幅ひろく批評の対象となった展評では,これらふたつの概念が,荒城の作品評価の判断軸となっていくのである。荒城の戦前の美術批評活動の対象は,大きく分けて三つのジャンルに類別できる。ひとつは,フランスでの新美術動向の紹介文であり,いまひとつは,近世近代ヨーロッパ画家の評伝である。そして,何よりも荒城の著述文のなかで多くの分量を占めるのが,日本のさまざまな団体展,グループ展,個展の展評である。その特色は,官展出品作には厳しい批判を加え,逆に在野展や個展の出品作品に対しては,個々の美質をみいだそうとするところにある。とはいえ,荒城が高く評価するのは,あくまでも「近代的都会的」な「現代社会」の一情景をとらえた「健康」な具象表現に限られる。その代表として挙げられるのが,1932年前後から帝展,ついで二科展に多くみられるようになった「野外に於ける家庭群を取扱へる」絵画作品であり(「帝展洋画部概評」『みづゑ』3331932.11),のちに荒城はこれらの主題を総称して“ピクニック画“と名付けている。また,新制作派協会の画家たちが描く「現代的都会的」なモダニズム傾向の風俗画にも共感を示している。興味深いのは,1935年前後に独立展のなかで勢いをみせた“新日本主義”に対する見解で,このいかにも"近代'’日本ならではの折衷表現様式を荒城は「新興日本の“現実的表現”ではない」と否定している(「独立展批判」『みづゑ』3621935.10)のである。このような荒城の美術観を知ると,なぜ彼が1930年代後半から40年代前半にかけての時期に“戦争画”制作の賛同者として盛んな活動をしたのかが理解しやすくなるよ-378-

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