鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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⑮ 国吉康雄晩年作品の意味—~く祭りは終わった>以降の作品に関する研究ー一研究者:岡山県立美術館学芸員宮本高明く祭りは終わった>〔1939-1947,岡山県立美術館蔵,fig.1〕は,ただ単に国吉康雄(1889-1953)の傑出した代表作品の一点であるばかりでなく,彼の様式に関する問題を考察する上でも,またアメリカ絵画史上の一時代の様式を考察する上においても非常に大きな意味を有する作品である。表面的にみてもこの作品を境として,彼の作品に色彩上,主題上の明らかな変化があらわれる。第二次大戦中の敵対する国同士であったアメリカと日本両国の狭間に立ったという,彼の苦悩に満ちた経験が大きく作用したとみて誤りはなかろう。しかし,ここで検討を加えてみたいのは国吉個人のスタイル上の問題ではなく,彼の作品がもつアメリカ絵画に典型的な特質の問題である。ちょうど,彼がく祭りは終わった>以降の制作に入るのは,ジャクスン・ポロック(JacksonPollock, 1900-1972)が表現主義的な傾向の作品から非対象絵画へ移り,さらにドリッピングの手法を用い始めた時期に当たっており,抽象表現主義の登場というアメリ力絵画史上,最も大きな成果が現れ始めた時期だといえる。彼の生涯の作品は,終始一貫して具象の枠を出ることがなかった。形態のデフォルメは効果的で彼自身得意とした手法の一つであったが,あくまでも既存の客観的な意味を利用した主題の表現を行うといった基本的な姿勢を変えることはなかった。従って,彼の作品における図像の意味の確定は,作品を理解するための必要不可欠な条件の一つとなる。今日その意味を読み解くに必要な情報として,ワシントンD.C.にあるスミソニアン協会の公文書館に保存されている新聞雑誌などの公にされた国吉関係資料がある。これらは大量かつ緻密に整理された,ー級の資料である。だが,国吉の作品を検討する場合,そういった公的な資料のほかに有効であると考えられる,彼の人物そのものに迫る情報については,時間的な経過もあって徐々に失われつつあるといってよい。つまり,国吉の作品に描き出された一つ一つのモチーフに込められている内容は,彼個人の知識や体験が密接に関わったものであって,極めて私的な性格の強いものである。それ故に意味の曖昧な,一種謎めいた内容を含んでおり,その作品の図像が示す意味の解明が不可能となってしまった事例が多く,<祭りは終わった>もその例にもれない。§ 1.序-380-

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