鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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主題上の変化として,特に着目してみたいのは,道化役者を中心としたサーカスにまつわるテーマである。また,この点においても<祭りは終わった>で描かれた「お祭り騒ぎ(Festivity)」はこれから後の道化やサーカスの題材と主題上結び付くものである。彼が以降に取り上げるテーマを予告するものとして,自身の次代の幕開けを示すものであると考えられる。その先導的な役割の重要性からみても,この「祭り」が意味するものは,ただ単に第二次大戦をさすなどという比喩的表現とみるよりは,前後に制作された作品との関連を考慮すれば,彼の晩年の制作を左右する大きな意味を有するものだと考えざるを得ない。確かに,この「祭り」を日本の「後の祭り」という諺に結び付けて,一種の彼独特のユーモアや言葉の遊びとみることもできる。またこれ以外にも,彼は暗号めいたメッセージを作品の中に描き込んではいるが,この解釈だけに終始することは,彼の作品の本質的な部分を見落とす危険がある。これまで行った調査と論考では,この作品の完成にいたる彼の作品の分析を中心として進めてきた。そこで今回助成をいただいた研究では,主としてく祭りは終わった>以降の作品,つまり彼の晩年の作品をアメリカ美術史の視野から位置づけてみることで,それらの作品に共通な性格を明確にし,以上の問題を改めて考察することを試みてみようとしたものである。§ 2.その生涯と作品の傾向国吉康雄は現在の岡山市の中心部に位置する出石町に生まれ,17歳の年に新天地アメリカに向けて青年らしい夢を抱いて単身渡り,ホテルのボーイや果樹園の作業人夫などの職業を転々とし,ニューヨークに落ち着き画家として大成し名声を獲得した。彼が本格的に画家を志して絵画を学び始めたのは,アート・ステューデンツ・リーグに入学し,ケネス・ヘイズ・ミラー(KennethHayes Miller, 1876-1952)に指導を受け始めた頃からと考えられる。国吉という画家にとってその基本的な性格を形成するのに,決定的な影響力を持っていたのは,このミラーやミラーと同世代の画家たち,そして最も確実な言い方をすれば,当時の画壇であったかもしれない。というのは,ミラーという画家を後々までも非常に雌重して彼自身語っていることからも,このことは頷けるのではなかろうか。そして当時のアメリカ画壇で最も大きな話題を振り撒いた出来事だった,1913年ニューヨークのレキシントン街にあった第69連隊の兵器庫(アーモリー)で行われた「国-382-

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