鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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Cox, 1856-1919)のもと,アート・ステューデンツ・リーグに学び,ニューヨーク美術学校では,ウィリアム・メリット・チェイス(WilliamMerritt Chase, 1849-1916) について学んだ画家である。コックスは,アカデミックな指導者で壁画家として知られる人物で,パリでカロリュス・デュランとジャン=レオン・ジェロームに師事し,とりわけジェロームが得意とした人体のモデリングと美しい線描には,強い影響を受けたとされている。チェイスもまたナショナル・アカデミー・オブ・デザインに学び,ミュンヘン王立アカデミーに留学したというアカデミックな美術教育を受けた画家として知られている。そして自ら創設したニューヨーク美術学校で指導に当たった。こういった二人のアメリカ人画家のもとで絵画修業を積んだミラーもまた,アカデミックな域を決して出るものではなかった。しかしミラー自身は,決してこのアカデミックな性格を自分の生徒たちに無理強いはしなかったようである。また彼自身の作品の傾向も,アメリカ独自な絵画を目指すようになってきて,彼ならではの主題の発見や扱い方を試みるようになってきた。そして彼は生き生きとしたアメリカン・シーンを描いて残すことになったのである。ミラーのこのような具象的な作品の傾向も国吉に大きな影響を及ぼしたといえる。ミラーという画家の性格そのものよりも,ミラーという画家のいたアメリカ画壇の性格が,国吉を考える際に重要な要素である。というのは,アメリカの美術が,ヨーロッパを規範として,成熟していく過程において様々な画家の活動が繰り広げられていったのであるが,大雑把にその傾向をみてみると,日本の近代が西洋の受容に行った劇的な変動とは異なった,興味深い動きとなっていることに気づかされる。ミラーだけに限らず,この世代の画家たちによって,国吉が極短期間ではあったがその画塾に通ったこともあるロバート・ヘンライを始めとして,具象絵画の可能性は,様々な角度から拡張されていった時期である。ロバート・ヘンライ(RobertHenri, 1865-1929)は,ペンシルヴェニア美術アカデミー(1805年設立)に学んだ後,パリに留学してアカデミー・ジュリアンに通った。印象派風の要素も取り入れ,帰国後はナショナル・アカデミー・オブ・デザインに対抗する立場を取る画家グループ,ジ・エイトの主導者として活躍したことで知られる。彼が若い世代の画家たちに向かって,絵画理論によって画家の技術は進歩するのではなく,制作そのものによるということを教えたことは,彼の性格を非常に良く表して-386--

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