鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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この意味で,<祭りは終わった>以降の晩年の作品群は,より自由な発想の下に表現されたものであるといえる。それらの作品に現れたのは,彼が初期の作品でちりばめた日本を思い起こさせる小さなモチーフであった。彼の回帰は,自らの画家としてのスタート地点へと向かったのである。なんとなれば,彼の晩年作品の意味をさぐるには,表現上の問題が大きな比重を占めていることがわかる。つまり主題の取り上げ方では,彼は自分自身の当初の姿へ戻ったといえる。あとに残された問題は,彼自身がいかにそれを表現するのかということに集約されるのである。つまり彼の晩年作品の意味は,この自由な表現主義的発想の発展において最も評価されるべきではなかろうかと考える。国吉の作品は,19世紀美術の呪縛から逃れることができなかった,ヘンライやミラーといった多くのアメリカン・シーンの画家たちと一線を画するところに位置していると見ることができよう。今回の報告は国吉作品研究の一部を成すものであるが,今後さらに資料文献等の整理を行いつつ引き続き充実を計りたい。最後に,助成をいただきました鹿島美術財団に対し,深甚なる感謝の意を表します。-389-

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