(1785頃,ペン・水彩)であり,これが独立した銅版画「ヨブの不満」(第ーステート1786頃,第ニステート1793)となり,『ヨブ記」第10図の構図のもとになる。銅版画連作の原型となったのはトーマス・バッツのための『ヨブ記』(1820頃,水彩)である。それ以前のヨブに係わる水彩画としては先の「ヨブの不満」の本格的な水彩画(1786頃)と「旋風の中からヨブに答える神」(1800頃)がある。後者は『ヨブ記』第13図につながるものである。1807年頃に制作された石版画「エノク」の二人の若者と婦人は『ヨブ記』第2図,第20図との関連が指摘されている。それぞれ筆とパレット,紙とペン,堅琴をもっており,ヨブの三人の娘(バッツのための『ヨブ記』第20図)が担う人間の三つの能力(詩,絵画,音楽)と同一視される。石版画と挿絵(第2図)の構図をつなぐ水彩画(ケインズはヨブとその家族が描かれていると述べている)がある。第14図「夜明けの星が共に歌う時」の構図(両手を上げた天使)については,徒弟時代に師バザイアの工房が係わった『古代神話学』(1774-76)のゾロアスター教神殿のフリーズの挿絵から発展したもので,他の作品にも使われている。また大判の彩色版画「アダムを創造する神」(1793)は第11図「ヨブの悪い夢」を予告するものである。1921年,バッツのための『ヨブ記』の輪郭をリネルが模写し,ブレイクが彩色したのがもう一組の水彩画連作『ヨブ記』である。その二年後にリネルは銅版画として出版することをブレイクに勧めた。ブレイクはまずほぼ銅版画サイズの鉛筆下絵を作っている。これは現在,フィッツウィリアム美術館に所蔵されているが,第19図に相当するヴァリアントも含まれ,各図の細部についてもまだ未完成な下絵といえる。最終的な下絵とされるのが,ニュージーランドで見つかった中央の本図だけの水彩画『ヨブ記』である。所有していたアルビン・マーティンはリネルの弟子であったことから,リネルから入手したと考えられる。本図を取り巻く飾り縁については,彫版の過程で付け加えたものとし,本図がタテ長とヨコ長の二種類に分かれることから各プレートの意匠に統一性をもたせるための工夫ではないかと述べている。ケインズの『ヨブ記』解釈で重要だと思われるのは,ウィックステードの研究を踏まえながら,三十年にもわたるヨブというテーマの発展はブレイクの人生経験なり精神的な遍歴と関係があるとしている点であろう。関連作品の制作年代はロバート・エシックやマーティン・バトリンの研究によって修正された。例えば「ヨブの不満」第ニステートは1804年以降,バッツのための水彩画『ヨブ記』はもっと早く1805-06年頃の作とされている。またニュージーランドにある水彩画『ヨブ記』は今日,ブレイクの手によるものか疑問視さ-391-
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