鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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りのステートはアメリカの美術館(フォッグ美術館,ナショナル・ギャラリー),図書館(ピアポント・モーガン図書館)にあり,これらを調査したうえで総合的に判断することが必要であろう。大英博物館とフィッツウィリアム美術館ではケインズが上げている『ヨブ記』の各種の試し刷り版と頒布版を実見することができた。(2)の銘記のない試し刷りはおそらくワシントン,ナショナル・ギャラリーにあり,この種のステートは見つからなかった。調査した『ヨブ記』をケインズの分類に従って上げると,(1) 本図のみの試し刷り(第1図,14図,フィッツウィリアム美術館)(3) ブレイクの銘記のある試し刷り版(大英博物館)(5) (3)の小サイズの紙に刷られたもの,これは(2)と合わせて一組になっている(大英博物館)(6) 頒布版,大英博物館とフィッツウィリアム美術館に一組ずつあり,後者はケインズ旧蔵のオリジナル製本のもの。これらを比較してみて,また大英博物館に現存する『ヨブ記』の原版でも確認したことは,(2)は明らかに(3)以前の版であり,軽い調子のものであること,背景や顔の部分が平板に感じられるのは,(3)には交差する線刻や点刻が加えられて,密度の濃い仕上げになっているからである。リネルが(2)の段階で満足し,これを出版しようとし,版の完成をめぐってプレイクとの間で対立があったかも知れない。リネルの方が時代の趣味に敏感であったと思われる。ケインズが紹介している詩人バーナード・バートンの意見にあるように,「硬さと厳しさ(drynessand hardness)」が収集家に毛嫌いされる原因となったからである。黄色味を帯びた紙の頒布版は(3)のインディアン・ペーパーの試し刷り版より全体に濃い印象が強く,本来の繊細さに欠けるようにも思われる。こうした方向は時代に逆行するものであったが,これこそブレイクの意図したことであった。この銅版のスタイルは「すべての時代にゴシックと呼ばれる真の芸術」(『最後の審判の幻想』1810)なのである。このブレイクの主張は『ヨブ記』の彫版のスタイルばかりでなく,意匠にも現われているのである。最初の『ブレイク伝』(1863)の作者アレグザンダー・ギルクリストは『ヨブ記』本図に描かれたゴシック教会と異敬の古代遺跡がそれぞれヨブの義と錯誤を暗示していること,また中世の浮き彫りや木彫を思わせるモティーフが見られることを指摘し,その例として第20図「ヨブと娘(2) リネルの銘記のある試し刷り(第11図,16図,19図,20図,大英博物館)(4) (3)の彩色されたもの(第11図,15図,18図,20図,フィッツウィリアム美術館)-393-

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