鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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箱の表面の扇には絵替わりで四季折々の植物,柳や松藤,秋草,水辺の葦などが情感豊かに描かれ,仮名のあしで文字が配された扇面もみうけられる。こうした和風の意匠と,蓋を開けてみたときの「漢」の意匠との対比は当然意図された効果と考えなければならない。そして,同時に,表に「和」,内に「漢」をこめた制作者の意図がごく自然に理解され,喜ばれるような享受環境というものが想定されるのである。ところで「長生殿」と同じく中国渡来の主題として好まれたものに「菊慈童」の故事があげられる。「菊慈童」による蒔絵の遺例は豊富であり,ほぼ定型化している。熊野速玉神社の古神宝(明徳元年=1390年調進)中の羅菊蒔絵手箱をはじめとして,水辺の菊と菊慈童を象徴する柄杓というモティーフを組合せたいわゆる留守模様が手箱や硯箱に繰り返し描かれている。不老長寿を祈念する吉祥の意匠として室町時代以降大変流行したらしい。また能楽の演目ともなり人口に謄炎したことが,室町期以降におけるこの主題の流行と無関係ではないだろう(注2)。文字を書かず人物の存在を暗示させる器物を描くことによって物語の場面を象徴的に表す手法が上にあげた漢詩の意匠の場合と違って室町期らしさを感じさせる。このほか,南北朝から室町にかけて新しく流行したモティーフに,牡丹がある。牡丹は中国製の彫漆器の文様に多く表されることから,疑似彫漆として造られた鎌倉彫の文様に多用されたが,絵画や蒔絵でもよく描かれている。特に獅子との組合せによって中国風モティーフの代表格としてあつかわれるようになった。ところが牡丹と獅子のモティーフの組合せは,中国本国ではあまり一般的とはいえず,むしろ日本において独特の発展をとげた取合わせ文様と考えられる(注3)。富貰の象徴,花の王としての牡丹と百獣の王の獅子とを組合せ,それに日本からみた中国イメージを重ね合わせたものであろう。一方桐竹鳳凰の主題は,帝王伝説にちなんだ中国起源の組合せ文で,日本でも古来天皇の抱に用いられる染織文様として知られていたが,南北朝期以降はさらに一般的な祥瑞の組合せ文として蒔絵などにも広く用いられるようになる。熱田神宮蔵の桐竹鳳凰蒔絵鏡箱(文安二年=1445)がその例であるが,鳳凰を除いた桐竹のみの組合せになると熊野速玉大社の古神宝中の桐蒔絵手箱ほかさらに多くの例があげられる。梅と月の組合せも中国起源の文様で,このころ新たに好まれるようになった。東京国立博物館と小鳥居家所蔵の二点の梅月蒔絵文台や梅月蒔絵手箱(東京国立博物館蔵)などが代表例だが,梅月螺細高卓(東京国立博物館蔵)他,中国の螺細の遺品に梅と-399-

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