鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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⑤ 受容環境漆としての鎌倉彫の流行,元明の螺細の影響を受けた青貝の螺細,鎗金の影響を受けた沈金の制作などがみられるものの,蒔絵を中心とした伝統的な漆工芸の流れに大きな変化をもたらすにはいたっていない。ただ,この時代に急速な発達をみせる高蒔絵の技法は,草創期の梅蒔絵手箱の例にみられるような特定のモティーフを強調する程度の盛り上げ表現から,肉合研出蒔絵といわれる平面から立体へ自然に移行するレリーフ彫刻的効果をもつ技法へと発達し,山を描く際の写実的な表現に用いられている。これは酔翁亭図堆黒盆(円覚寺蔵)のような楼閣人物を描いた彫漆の表現に影響を受けているものと思われるが,彫漆器に多くみられる花鳥文のレリーフ表現の影響は認められず,専ら風景表現のみに活用されている点が注目されよう。また,当代の蒔絵の特徴として黒漆地の積極的な採用が指摘される。小倉山蒔絵硯箱では,地蒔を廃して黒漆地にすることにより対角線構図によって生み出された余白がより効果を発揮し,水墨画風の深みのある世界が演出されている。こうした表現の背景には,蒔絵技法の発達でより多様な蒔絵粉が製造されるようになり,従来の梨地が分化して様々な表現が生み出され,蒔絵における色彩感覚が洗練されてきたことが素地として考えられる。黒と金の組合せは,金閣寺に代表される色彩感覚であり,時代の好みを代表する色合いであったと思われる(注8)。いままでみたように,彫漆器などの唐物から伝統的な蒔絵が直接的に影響を受けることはなく,断片的に現れる中国的要素も絵画経由であったり和風の要素と入り交じったりしていることがわかる。これは唐時代の工芸品とはかけ離れた彫漆の意匠感覚が受け入れられにくかったとみることもできるが,唐物の漆器を伝統的な漆器とは意識的に別種のものとしてとらえる傾向があったと考えたほうが自然だろう。最後に「唐物」と「和物」とを対照させながら共存するものとして鑑賞していた受容環境について考えてみたい。春日山蒔絵硯箱には『慈照院義政公五面硯之記』が付属しており,これによれば,この硯箱は花白河蒔絵硯箱(根津美術館蔵)などとともに伝来した東山御物の和物の一つであったことが知られる。いずれも和歌を主題とした歌絵の意匠によるものだが,こうした和物の硯箱が,どのように鑑賞され,座敷飾りにおいてどのような位置を占-404-

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