注つ。(2) 能楽と工芸意匠との関係は近年注目されているが,謡曲の中に取り込まれた和・めていたかということは興味深い問題である。当時の座敷飾りの記録のなかには,多くの唐物の中に僅かながら和風の調度を飾ったと思われる記述が認められる。技法に関しての細かい記述はないが,おそらく蒔絵の装飾が施されていたものと想像される。例えば,永享9年10月後花園天皇行幸の際の義教の室町殿の会所飾りを記録した『室町殿行幸御筋記』の中で,新造会所の五間の南北の角に堆紅の孤床一対をたて,火鉢や「御硯文台御文杜若」を置くとあり,また義政の小川殿主殿の御髪所厨子棚の上段に重ね硯,中段に三代集,下段に水引箱・料紙箱を置き,その南際に文台・硯・引合一帖・杉原一帖・文沈を置いている。また東山殿常御所耕作の間に厨子棚,賢の道具を置くとある(『御飾記』)。しかし,これらの記録に示される部屋はいずれも建物の中では日常生活のための空間に相当し,ハレの空間に和物が飾られたという記録はみられない。後の時代になると硯箱は書院飾りの要素として記録の中に現れるようになる。そもそも会所の成立自体,建築的な面からみると私的な接客空間の必要性から生まれてきたものであり,座敷飾りも発生当初は,連歌会・和歌会など遊興のための私的部分,最も公式な場からは少し外れた,比較的ケに近いところに位置するようなハレの場から起こってきた現象であった。座敷飾りが御成など公式の場に押し上げられていくことにより,初期の座敷飾りのエネルギーを失い規式化されていく過程と,硯箱が書院飾りに正式に取り入れられていく過程とには同じ方向性を認めることができるのではないだろうか。和物の硯箱がいつ頃からハレの場に飾られるようになるかということは重要であると思われるので,今後史料の検討によって明らかにしていきたい問題である。和物かざりの例としては,このほか古筆手鑑や葉茶壺飾りの登場が指摘されており(注9)'これらとの相関関係についても併せて今後の課題としたい。以上,本報告では研究のアウトラインを述べるにとどめるが,今年度の研究を通じて沸き上がってきたいくつかの疑問点を発展させ,今後の研究を進めていきたいと思(1)小松大秀「漆芸品における文学意匠(下)」『MUSEUM』366号昭和56年9月-405-
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