(昭和54年•60年)(4)鈴木規夫「二つの梅月蒔絵文台」『漆工史』第3号昭和56年(7) 硯箱における縁取り文様に関しては,拙稿「漆芸意匠における『枠』の意識に関(9) 佐藤豊三「将軍家『御成』について」(五)・(九)(8) 宮上茂隆氏によれば,創建当初の金閣寺は,3階部の床・縁の床・高欄・腰組を漢の主題は当時の文化的環境を反映しており,詳しく検討する必要があるだろう。(3) 石田佳也「『唐獅子図屏風』をめぐる考察」『日本美術史の水脈』(1993年ぺりかん社)によれば,牡丹と獅子の組合せは,鎌倉五山などを中心とした禅宗的環境において特に好まれ培われたと推定されるという。(5)鈴木規夫『漆エ(中世編)』日本の美術230(昭和60年7月至文堂)など。(6) 島尾新「十五世紀における中国絵画趣味」『MUSEUM』463号平成元年10月など。する考察」『共立国際文化』5号共立女子大学国際文化学部紀要1994年除いた内外を金箔押しとするが,2階部は高欄を除いた全てが黒漆塗であり,黒地のなかに金が鮮明に輝く感覚こそ当時の美意識を象徴するものであったいう。宮上茂隆「足利将軍第の建築文化」『金閣寺・銀閣寺」日本名建築写真選集11(平成4年新潮社)-406-『金鍼叢書』6• 13
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