鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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II.「マリアの七つの悲しみ」祭壇:当初は北脇内陣(旧聖具室)東壁に置かれていた。IV.「カタリナ祭壇」:北側廊第一ベイにあった。現在ヨハネ祭壇に属している「ベスVII.「ヤコブ祭壇」:中廊第一ベイの南円柱脇にあった。現在「マリア祭壇」の置かれができる。以下では16世紀当初の祭壇群の配置状況を再構成し,その変遷を記す(カタログp,184の挿図4は,聖堂平面図とオリジナル,および現在の祭壇の配置を図示している。あわせて参照されたい)。I.主祭壇:現在と同じ位置。もともとは,さらに同聖堂の守護聖人「聖ニコラウス」像が厨子上部にあった。この彫像は現在同聖堂内陣に置かれている。制作状況の記録は詳しく残されている。「聖母兄弟団」を寄進者として1490年に彫刻家アルントに発注された。アルントが1492年に没した後,仕事はヤン・ファン・ハルデルンに引き継がれたが,1500年に彫像部分を完成したのはルードヴィヒ・ユパンであった。翼扉は画家ヤン・ヨーストによって,1507/08年に描かれた。厨子自体を制作したのは,指物師デリク・イェーガーとヴルデイクであった。現在の位置に移動したのは1902年であった。作者ヘンリク・ドーファーマンは1518年から1522年にかけて,「聖母兄弟団」の発注により,この作品を完成させた。III.「エリギウス祭壇」:北脇内陣(旧聖具室)入口にあった。残部は伝わっていない。1493年にクリスティアン・スーベラーによって寄進されたという記録が残されている。ローテン・ホフィェ」,「聖セヴェリヌス」像はこの祭壇の残部である。この聖セヴェリヌス像は様式から判断して,彫刻家ケルストケン・ファン・リンゲンベルクが1510年頃制作したと思われる。寄進者は「聖母兄弟団」。V.「セバスティアン祭壇」:中廊第ーベイの北円柱脇にあった。現在「ゲオルク祭壇」の置かれている位置である。1818年に祭壇が解体された後,同祭壇に属していた「聖ヨドクス」と「聖アンドレアス」像は,現在身廊南壁に置かれ,プレデルラは,そのまま「ゲオルク祭壇」のプレデルラとして用いられている。聖アンドレアス像の様式から,その作者は彫刻家ルードヴィヒ・ユパン,制作年は1507/08年頃とされる。VI.「十字架祭壇」:1818年まで内陣と身廊を分割する内陣障壁の前にあった。1445年にこの祭壇のための祭壇付き代理司祭職が寄進されている。ている位置である。様式からして,三体の彫像は彫刻家アルントの弟子によって制作された。寄進者像は,1503年にこの祭壇のために祭壇付き代理司祭職を寄進した-410-

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