VIII.「マリア祭壇」:南脇祭壇と南側廊を結ぶベイの南壁脇にあった。やはり「聖母兄XII. 「アンナ祭壇」:南側廊第ニベイ,現在「聖三位一体祭壇」が置かれている位置にXIII.「ゲオルク祭壇」:中廊第ニベイ南円柱脇にあった。厨子の彫像は彫刻家アルントIX.「ヨハネ祭壇」:当初は南脇内陣,現在「マリアの七つの悲しみ」祭壇が置かれてX.「聖三位一体祭壇」:当初は南脇内陣と南側廊を結ぶベイの南壁脇にあった。やはXI.「クリスピウス=クリスピニアヌス祭壇」:南側廊第ーベイにあった。現在聖堂南が1484年までに制作した。翼扉の絵画パネルは,ケルン派の画家によって1500年頃XIV.「アントニウス祭壇」:中廊第ニベイ北円柱脇にあった。同祭壇の残部は,南脇内ヨハンベッカーとその妻エリーザベトと推定される。制作時期もその頃であろう。弟団」によって寄進され,彫像部分は1507/08年に,彫刻家ルードヴィヒ・ユパンによって制作されたと推定される。いる位置にあった。厨子中央の区画(現在聖セヴェリヌス像が置かれている)には,もともと「三日月に立つ聖母子」の像が置かれていた。この像は1818年に売却された後,ニュルンベルクのゲルマン民族博物館の所蔵となったが,第二次大戦の際に焼失した。彫像制作者アルント・ファン・トリヒトはドーファーマンの弟子で,カルカー市で活動した彫刻家の最後の世代にあたる。1541年から1543年にかけて,彫刻家アルント・ファン・トリヒトが制作した。ニコライ聖堂木彫祭壇群の最後の作品である。りアルント・ファン・トリヒトの手になる。様式から1530年頃に制作されたとされる。側廊にあり,ガラスの箱に収められている両聖人の像はこの祭壇の残部であり,1510年頃にケルストケン・ファン・リンゲンベルクによって制作されたと推定される。あった。もともとは画家デリク・ベーゲルトが1492年に完成した祭壇画であった。同作品は,現在アントウェルペンの王立美術館に所蔵されている。描かれた。翼扉外側に描かれた寄進者は,1480年代に判事と市長を歴任したペーター・ギーセンとその一族である。陣にかけられている三連画と,主祭壇の脇に置かれ,聖ニコラウス像が収められている天蓋と推定される。双.「ステファヌス祭壇」:北側廊第ニベイにあった。残部は現存していない。--411-
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