鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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3.都市共同体による祭壇の造営ihrer Bltitemit Berticksichtigung der frtiheren Zeit, Frankfurt a. M., 1893にまとカルカー市には,教会の運営とこれらの祭壇の寄進に関する文書が豊富に残されており,それはまた,さきに挙げたWolffの著書Geschichiteder Stadt Kalk註rwahrend められている。これらの記録から浮かび上がってくるのは,教会を経済的に支えていただけではなく,その運営自体にも関与していた都市と都市内のさまざまな共同体や市民の姿である。記録に祭壇の寄進者として現れるのは,兄弟団やツンフトといった共同体と,個人あるいは家族として記された市民である。中世末期のカルカー市にあった兄弟団は,「聖母兄弟団」を筆頭に「アンナ兄弟団」,「ゲオルク兄弟団」,「聖ニコラウス兄弟団」,「聖フーベルッス兄弟団」が挙げられる。またツンフトとその守護聖人で記録に残されているものとしては,1)聖ステファヌス:ビール醸造業者とパン焼き職人のツンフト,2)聖カテリナ:布織り職人と布仕上げ職人,3)聖セヴェリヌス:亜麻織り職人,4)聖アンナ:仕立屋と胴着縫い職人,5)聖クリスピヌスと聖クリスピニアヌス:靴職人と皮なめし職人,6)聖ヨセフ:大工職人,7)聖エリギウス:鍛冶職人がある。記録には祭壇の寄進者として直接あげられていない例があるものの,ここに挙げた兄弟団の聖人,あるいはツンフトの守護聖人はおおむね祭壇群が捧げられた聖人と一致しているところから,こうした団体は聖堂内に自らの祭壇を寄進し,その前に定期的に参会してミサを挙げていたものとおもわれる。祭壇の寄進者としてより頻繁に記録に挙げられているのは,個人あるいは家族としての市民である。しかし,ここで注意しなくてはならないのは,「祭壇を寄進する」ということが,しばしば多義的な意味をもっているということである。木彫祭壇は,本来の祭壇である「祭台」を荘厳する装置であり,祭台は聖餐式のための場であった。そのため「祭壇を寄進すること」は,祭壇を聖堂内に築かせることと,その祭壇の前で行われるミサの世話をする「祭壇付き代理司祭職」のための基金を寄進することの,ふたつの意味があった。また聖堂内に位置を占めた本来の祭壇(祭台)の荘厳具である木彫祭壇は,その時々の美術様式を取り入れた作品に更新されることがあった。「祭壇を寄進すること」の意味がこのように多様であることから,ある共同体に属するひとつの祭壇についても複数の市民が,ときとして数十年の開きをもって,祭壇の造営と運営に必要なさまざまな費用の,一部を寄進することがあった。たとえば「ゲ-412-

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