① 元代白描画研究一趙孟頴「水村図」における渇筆の使用について研究者:東京大学東洋文化研究所助手林元時代の中国画壇で起った復古運動の中心人物趙孟頻(宝祐2一至治2,1254-1322,字は子昴,逝江呉興の出身)がその絵画観を「画を作るは古意あるを貴ぶ。もし古意なければ,エみなりとも益なし」と説えているように,彼の代表作の一つとされる「水村図」〔北京故宮博物院蔵・図I,2〕には前代に師法した跡が多く認められる。南宋院体画を否定して,北宋及び北宋以前の画家に制作の規範を求めようとすることは,ー派の様式に忠実であることではなく,構図法やモチーフの援用と共に,従来画家の個性とされる筆墨の用法までも前代の画人を師範としようとしたためである。「水村図」の制作は巻末の銭重鼎「水村隠居記」によれば,大徳六年(1302)に趙孟瓶が親友の陸行直の別荘所在地である分湖(呉郡,江蘇)の近くにある村の風景を描くのである。実景描写と言いながら,「水村図」においては,様式的には李成・董源が代表する華北・江南山水の二派にわたった南北双方の構成要素を見せ,墨法的には米家父子の水墨と李公麟の渇箪を一画面に共演させる,という二重の逆説的な性格をもつのである。特に,北宋の文人画家李公麟の墨法である渇墨の墨法を江南山水画に取り込み,水と陰を含む空間描写を可能にした水墨が放棄されて江南山水画に変貌させた点は,本図において注目されるべきところと思われる。この変化は元の四大家と元以後の南宗画に決定的な影響を与えた線描の要素を成立させることにもなった。本調査は主にこの江南山水画にとって異質的な白描的墨法に即して考えるものである。江南の山水画は,董源「寒林重汀図」〔図3〕を始め,米友仁「雲山図」,李生「灌湘臥遊図巻」,牧硲「灌湘八景図巻」〔図4〕に至るまで,どの作品も水分を多く含んだ用墨をその共通の特長としている。墨の濃淡が紙以外の素材では出来ないグラデーションの諧調,いわばマチェールの効果は,煙雲などの水気に包まれる水辺の風景を描き出すには最適な墨法であるからという。これに対して,渇き墨のついている筆を用いて紙の上で擦ってザラザラの墨痕を作る手法は渇筆といい,北宋の文人画家李公麟の「五馬図巻」〔図5〕の馬の毛や人物の髭,或いは彼の作品と伝称されている「放牧馬図」〔北京故宮博物院蔵・図6,7〕の土波にそれを見当る。この墨法は馬と人物の毛髪に特有な光沢感,或いは「放牧馬図」の土披のサラサラとした沙の質を見事に描出している。また同じく北宋の喬仲常秀薇-415-
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