鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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筆と伝わる「後赤壁罰」に見られる月光に照らされる岩の表面,或いは南宋の梁楷の「黄庭経図巻」では人物の毛髪や中心人物〔図8〕のシルクないしサテンと見られる光沢感のある衣装にも渇筆の使用例が見られる。その共通した視覚効果の特徴,つまり描写対象そのものの質の光沢感を描出することは,光線の照らしを正面的な効果をとらえる墨法と言え,ちょうど水墨の諧調が晦暗な側面的な光を表現することと対照的である。「水村図」の主要な描写となった汀州の表現はまさに光りのぎらぎらとする視覚効果を有する渇筆の線描を用いたのである。図中に示される強い古典主義から考えれば,この汀州の表現もその復古的な絵画観の支配下で出米上がったものの一つとすれば妥当であろう。しかしながら,趙孟頻が師倣した諸派の絵画作品からこれと合致するような様式は見当らない。類似した表現と言われても,董源の「寒林重汀図」にしても,その遠景表現に見られる積み重ねの筆線はこの筆の趣きと通じる一方で,「水村図」の渇筆の要素はその水墨風の遠景とは正反対の墨趣を示している。また,「水村図」の渇筆の墨法について,北宋李公麟の白描画のモチーフに部分的に施こされている例は,「水村図」のように筆線を積み重ねて仕上げた手法とはまた異なる。「水村図」の構成やモチーフの援用に李成・董源の相対する複数の要素が共存している古典主義の性格を考えれば,おそらく「水村図」の汀州の表現にも複数の「古意」が含まれると連想が誘われる。要するに,「水村図」の汀州表現について線描的な要素と渇筆の要素とを分離してそれぞれの「古意」を考えるべきであろう。趙孟類の着色代表作「鶴華秋色図」〔図9〕に見られる「寒林重汀図」のモチーフとの類似性は彼と董源との深い伝習関係を示す例としてよく挙げられて,趙孟類が元時代における董源の再現者であることを説明する。「水村図」についても同じことが言える。例えば岸辺の描写に限定したモチーフの葦や家屋の点綴と,樹木の表現として,筆腹でもって上から下への方向で掃きながら垂下した柳を表わすような描方,或いは側筆の積み重ねで林立する樹叢を表現し,或いは筆先によった小墨点を繰り返して茂樹をなすなどの樹法は「寒林重汀図」を規範としたものに違いない。同じに,線描のみの積み重ねで描き出された沙州の表現が趙孟顆のこの二つの代表作品にみられることを,この表現と董源の関係の暗示として考えてもよかろう。「寒林重汀図」に線描のみの積み重ねで描かれた遠景は,観者の位置からの可視範囲における遠ざかる景観を,最小限の筆,即ち「直線」で省略的に表現し,描かれる-416-

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